パソコンの海外調達

2005年06月20日

初の海外生産:第2世代98FELLOW

パソコンの海外調達(7)
初の海外生産:第2世代98FELLOW
 

PC98シリーズとして初の海外(台湾)生産マザーボードを使用した第2世代98FELLOW(PC−9801BX2)は93年11月に発売されました。

このPC−9801BX2の標準価格は17.8万円で、CPUを486SX/25Mとランクアップさせて、初代98FELLOWよりも4万円安い価格設定でした。

 

以前に述べたように、国内と台湾の併用生産で、出荷当初は国内生産100%でスタート(作り溜めや所要変動へのダイナミックな対応が必要なため)して、安定需要期に入った94年1月頃から、台湾製マザーボードを国内製とMIXして、ライフ総量では全体の約3割を台湾製マザーボードを使用する計画でした。

 

しかしながら、最初の1ヶ月は台湾製マザーボードの実力が判明するまでは、投入量を1割〜1.5割に意図的に抑制しました。(その時は、PC98シリーズとして初の海外生産マザーボードであり、「低コストAND国内製と同等の品質」が命題であり、慎重の上に慎重を期したからです。)

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2005年06月18日

設計の海外移管のやり方

パソコンの海外生産(6)

設計の海外移管のやり方

 

第2世代の98FELLOWの海外調達を台湾ODMの「E社」に委託することが決定して、日本設計の98FELLOWのマザーボードの設計を台湾にトランファーする現地化作業が具体的に始まりました。

 

海外調達の最大の目的は勿論、原価低減です。 日本で設計したマザーボードをどのようなやり方で台湾ODMへ移し、現地化設計&生産を立ち上げたのか、その基本的な考え方をご紹介します。

 

海外からのODM(設計込みの生産委託・調達)の委託レベルとして次のような3段階があると考えれられます。

 

<レベル1>デザイン・コンサイン(完全設計委託)方式

基本仕様書を渡し、それ以降の回路設計・プリント基板設計、部品選定、評価などの実設計と検査、生産を全てODM側に任せる。

 

<レベル2>モディファイ(部分修正設計)委託方式

回路設計と部品選定までは日本サイドで実施し、海外現地(この場合は台湾)で安い部品へ切り替えや、回路変更含めてVE設計を行う「モディファイ(一部修正)設計」以降を任せる。

 

<レベル3>デッド・コピー(丸写し)委託方式

日本サイドの回路設計、選定部品をそのまま変えることなく、デッドコピーして、海外で組立生産する。

 

98FELLOWの場合は、前記の<レベル2>の方式としました。その理由は次のとおりです。

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2005年06月15日

日本語の壁(1)

閑話休題(5)
日本語の壁(1)
 

98FELLOWの海外調達サーベイで台湾・香港のODMを数多く訪問しましたが、台湾ODMとの打ち合わせでは、日本語インタフェースでも可能なところが多く、英語があまり得意ではないエンジニアが多い日本メーカーにとっては好都合ではあります。

 

台湾ベンダーも日本人が英語に強くない弱点を心得ており、日本とのビジネスを拡大するためにも、日本語が話せる台湾人スタッフを営業に置いている会社が多いからです。

(最近は、中国のIT企業にも日本人の大学留学生を雇っている例が多くなったようです。)

 

一方、欧米人とのビジネスを経験した方はご存知でしょうが、アメリカ出張時など彼らと打ち合わせする時は、当然の如く、英語でなければなりません。

例え、相手がアメリカの子会社の人間であっても、打ち合わせ場所が日本であっても、当然の如く早口の英語でまくし立ててくる相手とやりあわねばなりません。 なおかつ、電話会議の時などは、相手のワーキング・タイムに日本側が合わせてやり、早朝や夜の時間に会社に居なければなりません。

 

 従って、相当なエネルギーを消費し疲れることとなります。 自分の英語力が不十分である点は否めませんが、私などよりもよほど英語力が高く海外駐在が何年もある人でも、やはり、英語を母国語にしているディベート好きのアメリカ人と意見を戦わし、相手を論破し納得させるというのは相当に難しいようです。

アメリカ人との打ち合わせでは、「こん畜生! 日本語並みにべらべら喋れたらと臍をかんだ」ことも何度もありました。(一般のサラリーマンは同じような経験があると思います、帰国子女の方は別でしょうが)

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2005年06月14日

海外ベンダーの選び方(2)

パソコンの海外調達(5)
海外ベンダーの選び方(2)
 

次期98FELLOWの海外調達の挑戦とそのODM先の決定については、我々にとっても初めての経験であり、慎重に事を運びました。 

次のようなやり方やポイントで、どのベンダーが良いかの選定判断をおこないました。

 

1.事前に見積もり合わせ結果を入手する

台湾と香港のODM候補各社に対して、現地訪問の前に、「サンプル・マザーボード」の見積もり合わせ資料(主な仕様(主要部品表、回路図、外形サイズ・プリント基板設計仕様)、調達量、質問表など)を提示して、事前に先方からの回答を入手してから、現地で質疑応答を行い確認する形式としました。

 

<判断方法>

各社の見積もり回答を横並びで比較する。 各社の回答内容から非常に多くのことが読み取れます。 単に価格の安い・高いだけではなく、そのベンダーの特徴、性格、組織力などが見積もり回答書から読み取れます。 例えば、

    そのベンダーの我々の商談に対する熱意の程度

    部品レベルの価格積み上げリストから、その会社の技術&資材部の低価格部品サーベイの能力や価格の精度、技術部隊の回路を読む力、 など

    質問表に対する回答内容、やりとりの対応スピードの速さ、などからその会社の営業と技術の連携の良し悪し

 

2.ベンダーの主任エンジニアとダイレクトに話しをする

  各ODM訪問時には、今回の案件で主担当となるエンジニアと上司の技術マネージャーとの質疑応答の時間を設け、技術部のフロアと実験室も見学をさせてもらうこととしました。

 

<判断方法>

  ダイレクトに話をすることにより、そのベンダーのエンジニアのセンスの良し悪し、真面目かハッタリを言っているのか、スキルの程度など、ある程度の見極めができます。 

例えば、最新のCPUやチップセットに通じているか、PC98アーキテクチャとPC/ATアーキテクチャーの違いの部分を理解できるか、生産技術にも詳しいか、などです。

 

この時、感じたのは台湾ベンダーのエンジニアの方が、香港のエンジニアよりも最新技術に詳しく技術センスが良いということでした。 英語能力も片言の私などよりも格段に優れていました。

 

聞いてみると、台湾はアメリカに留学した帰国エンジニアが既に結構多くいて、シリコンバレーなどともパイプがあり、当然ながら米国のPCの最新技術情報に貪欲でした。 アメリカ流儀の若いエンジニアが、2つ、3つの開発を常に掛け持ちで担当している(台湾では当たり前)とのことで、日本人エンジニアとの対比で「うかうかしておれないな」と感じたものです。

 

3.日本向けのビジネスをどれだけ重視しているか

 

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2005年06月13日

海外ベンダーの選び方(1)

パソコンの海外調達(4)
海外ベンダーの選び方(1)
 

93年春から次期98FELLOWの更なる低価格化を目指して、台湾・香港地区のODM(Original Design Manufactured の具体的な選定に着手しました。

 

その頃の台湾・香港の電子産業の状況は、70年代にカラーTV、テープレコーダー、電子玩具などの日米資本が台湾に進出して、その組立産業が興り、それらに使う地場の電子部品産業が急速に成長しました。

 その後の80年代は人件費の上昇で、TVや玩具などの付加価値の少ない組立産業は苦しくなり、80年代初めから産・官・学を挙げてパソコン産業への転換に軸足を移していきます。 

 

80年代半ばに産・官・学の成果をもとにパソコン産業に進出した第1陣の老舗に「エイサー」「マイタック」などがあります。

80年代後半からは多くの新興のPCメーカー、ボード・部品メーカーが出現していました。 80年代末〜90年代初めの頃は、電子部品産業の集積を強みに、北米パソコン大手からのOEM生産が伸び出した時期でした。

 

93年頃は、92年の北米でのコンパック・ショックによるIBM PC/AT互換機の低価格の流れが加速し、皮肉にも欧米の多くのパソコン大手が、パソコンを安く作れ生産能力もある台湾にOEM生産を委託せざるを得なくなっていました。

この時点では、日本のパソコン大手は、パソコン本体やマザーボーはまだ国内生産オンリーでした。

(参考:1.コンパック・ショックは台湾の救い神 、2.台湾パソコン産業の発展要因の分析:神戸大学 伊藤宗彦氏他)

 

さて、以前にも書きましたが、98FELLOWの海外調達方針は、初挑戦のリスクも加味して、次のようなベンダー選定条件だったと記憶しています。

 

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2005年06月10日

海外調達の損得勘定(2)

パソコンの海外調達
海外調達の損得勘定(2)
 

前回、海外調達のコスト効果のシュミレーション例(台湾、マザーボード)を示しました。

内外価格差、つまり、日本に比べて台湾が安い部品の価格差や人件費差をダイレクトに反映出来る訳ではなく、日本に持ってきて売る場合に、輸入関連諸経費や色々なオーバーヘッド費用を差し引いた部分が実質的なコスト低減額となることに留意が必要です。

 

それ以外にも、海外調達の損得勘定で考慮しなければならない重要な点があります。

 

それは、「国内の工場稼働率」の問題と「海外調達のリードタイムの長さ」の問題です。

1つ目の「国内工場稼働率」の問題は、海外生産に移したために国内の工場が空洞化して稼働率が大きく低下するのでは本末転倒であり、総合的な損得勘定が合いません。

 

国内工場には、多くの従業員や生産設備があり固定費用が発生しています。 その固定費用を回収して適切な利益を出し続けるためには、工場の生産稼動をある水準以上に保つ必要があります。

また、大きな会社の工場では、地場に多くの2次、3次外注の協力工場を抱えている場合が多く、企業城下町的な共存共栄の状況になっています。

 

つまり、国内工場をたたんで海外シフトをするならば別ですが、国内工場の稼動を維持しつつ、海外調達を併用して、どのようにコストメリットを出していくかの方法論が重要となります。

 図2:パソコンのライフサイクル

2つ目の「海外調達のリードタイムの長さ」の問題は、その業種の市場特性によっても影響度が変わってきますが、パソコンの場合は、その商品特性から所要変動が非常に激しい特性があります。(図2:パソコンのライフサイクルを参照)

 年4回の新製品リリースのホット・シーズンでは生産ラインをフル稼働しても追いつかない状況ですが、新製品発売後の需要のピークは2〜3ヶ月しかありません。 また、その間の所要も大きく振れて、所要予測がなかなか当たらないことが多いのです。 先週の工場稼動率は100%だったが、今週は50%以下というような変動が大きくなることもよくあり、「平準化生産」がなかなか難しい特徴があります。

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2005年06月09日

海外調達の損得勘定(1)

パソコンの海外調達

海外調達の損得勘定(1)

次期の98FELLOWから、更に低価格化を目指して初の海外(台湾)からの調達に踏み出すべく予備調査が始まりました。

後に95年1月に遂に10万円を切った9.8万円の標準価格をつけた第3世代98FELLOWの「低価格宣言! PC9801BX3」として発売されることとなります。

 

低価格を実現する手段として、よく海外生産・調達(最近では中国生産)がキーワードとして出てきますが、それでは、当時の台湾からの海外調達で本当にどの程度安くできるのでしょうか? まずは、その目安を立てるシュミレーションが必要です。

 

一般に海外調達すれば「3、4割は安くなる」という安易なイメージがありますが、商品によって事情が異なりますし、最近は正確には承知していませんが、パソコンの場合に海外に生産を移すだけで簡単に3割以上も安くなるならば、苦労はありませんし国内製造工場は壊滅してしまいます。

 図5:海外調達のコスト効果

93〜94年頃のパソコンの例では、プリント基板や電源盤などの特定の部品は台湾が2割程度安かったですが、日本での調達価格とそれほど変わらない部品もあり、価格差はまだら模様で、積み上げ比較をする必要があります。 また、当時の台湾の人件費は日本と比べてワーカーが1/3程度、技術者が1/2程度でした。

[↑図:海外調達のコスト効果のシュミレーション例]

 

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2005年06月07日

更なる低価格化を目指して

パソコンの海外調達
更なる低価格化を目指して
 

93年1月の初代98FELLOW、98MATEによる黒船パソコンの撃退は一旦は成功裡に終わりました。 しかしながら、この93年1月を契機にパソコンは大競争時代の幕開けとなり、その後もコンパック、IBM、DELLなどの海外大手のDOS/V勢や富士通、エプソン、東芝などの日本勢との戦いが徐々に熾烈となっていきました。

 

パソコンの価格戦争はさらに強まり、パソコンの新製品は機能・性能は大幅にUPしつつ価格は大きく下がって行くというコストパフォーマンスが飛躍的に伸びる時代となっていきました。

 

初代98FELLOWの出荷を達成した後、引き続き後継機として2代目98FELLOWの開発が始まっており、更なる低価格化の切り札が求められていました。 

そこで、当時、欧米のパソコン大手向けのOEM生産でパソコン産業が成長しつつあった台湾からの海外調達に初めて踏み切ることとなりました。

 

93年当時は日本のパソコンメーカー大手は、部品レベルでは台湾からの調達を勿論していましたが、国内開発&国内生産が当たり前で、パソコン本体やマザーボードの海外生産・調達はどこも本格的には行っていませんでした。 ましてや台湾への設計込みの生産委託(ODMはまったく未知の世界でした。

 

台湾のパソコン産業が急成長をして、世界のパソコン工場と言われだしたのは90年代の後半からです。 台湾パソコン産業は90〜92年の北米市場の不況による苦境や、コンパック・ショックなどアメリカのパソコン大手の低価格路線への転換により、自社ブランドによる欧米市場ビジネスの地盤を失いつつありました

 

93年頃の台湾パソコン産業は戦略を転換して、自社ブランドを諦め、欧米の大手PCブランド向けのOEM、ODMビジネスに特化をすることにより奏功しつつあり、その後の95年以降の爆発的な成長をする前夜という状況でした。

(参考資料:台湾パーソナル・コンピュータ産業の成長要因(著者:川上桃子氏、byJETRO))

 

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