閑話休題

2011年06月28日

孫の手

嫁いだ娘に男子を授かりました。 初孫の誕生だ! 出産後リハビリのため3週間ほど、八王子の我が家に里帰りし、1ヶ月検診を機に自分のアパートに帰っていった。

何やかやと騒々しい存在が去って通常に戻ったが、急に静かとなり何か物足りなく寂しいのが不思議だ。 ブログに初孫誕生のことを書こうか否かと迷っていた。 身内のおめでたを嬉々としてブログに書くのは性に合わないし、面白くもないとも思った。 しかも、私はそもそも赤ちゃんや子供が昔から苦手だった。

娘は1年前に流産していたこともあり、心配したが何はともあれ五体満足な赤子を授かり、安堵するととも神様に感謝した。 孫に初対面した日の帰り道、この孫の成人までは多分自分は生きられないだろうなと、ふーと寂しくなった。

孫が大きくなったら、「じいさん」のブログで自分の誕生のときのエピソードを知りたいと思い見てくれるかもしれない。 ということで「初孫誕生直後のあれこれ」を記録しておくことにしました。

haruki_01

・誕生日時、場所:2011年5月18日(水) 5時34分、東京都江戸川区南篠崎町、杉浦ウィメンズクリニック

・体重、身長、他:2,860g、48.3cm、頭周り31.7cm、胸囲31.5cm、

・左は誕生日の「孫の手」、この手で背中を掻いてくれ!

 最近は赤ちゃんの体重が2,500gを超えると母体に影響が大きいから出産を早めるという話を知った。 この孫は父親の休日(火、水)にピッタリ合わせて、5/17(火)の夜に産気づき、夫婦で遅滞なく産院に駆け込むことができた。 早くも親孝行している。

・私は5/18(水)午後に産院を訪問し、初対面した。 窓越しに見ていると「看護婦さんが抱っこしてみますか?」と声を掛けてくれた。 生まれた直後だのに抱いていいのですか?と躊躇したが、「どうぞ」と言われ、初抱っこ。 生まれて半日しか経っていないのに既にしっかりとした赤ちゃんだ。 これが初孫か、面映い不思議な感覚。

・出産予定日は6/7だったから、2週間以上も早い出産だった。 お陰で八王子の我が家の風呂のリフォームが完了しておらず、八王子へ迎えるのが10日ほど遅れた。 リフォームが遅れたのも大震災の影響、サプライチェーンが切れてユニットバスが手に入らず、タイル張替え方式に変更したがそれも遅れた。 

命名:晴貴(ハルキ)、婿さんは「晴」(ハル、ハレ)の字の音と明るいイメージが好きで、この字「晴」は最初から決めていたそうだ。 「キ」は漢字が少なく、どの字にするかあれこれ迷っていたそうだ。 誕生の日に私が娘に安堵したとメールした中に「3.11の大震災で多くの尊い命が失われた直後に生まれた「貴重」な命だ・・・・・」と書いていたので、「貴」にしようと字画数も調べて問題がなかったので、「晴貴」と命名したと聞いて、何か嬉しかった。

そう言えば、娘が結婚するときに、「私の名前の由来は?」と聞かれたときに、あっさり決めたとかあいまいに答えてがっかりさせたことを思い出した。 罪滅ぼしに孫の命名の由来をキチンと記録しておきます。 今、流行の奇をてらった洒落すぎの名前でなくてよかった。

・「ハルキ」と聞いて、思い出したのは1952年に一世を風靡したラジオドラマ「君の名は」の主人公の真知子と春樹。 それと人気作家の村上春樹。 漢字は違う。 娘はもちろん「君の名は」は知らなかった。 私も古い。 しかし、「ハルキ」は60年も前に流行ったレトロで古風な響きの名前とも言える。

一生に何万回も自分の名前を書くから、字画数は少なく書きやすく響きのよい字が良い。また、グローバル時代だから英字表現しやすいこともポイントだ。(自分の子供にもそのように付けたつもりだがキチンと説明していない。)

・6/4(土)に足立区のアパートに車で迎えに行き、八王子の実家までつれて帰った。 事故を絶対起こしてならず、慣れていない首都高速の車の運転に手に汗を掻き、ひどく緊張した。孫は車に乗った直後は環境が変わったのが分かるのだろう、キョロキョロしていたが、泣きもせずにそのうちに寝てしまった。 大物か鈍感か??

・孫ができると「おじいさん」となるのは当然だが、「じいじいに見てもらおう、じいじいに抱っこしてもらおう」とか周りから平気で言われる。 最初はムッとしたがそのうちに、自分から「じいじいですよ」とか言っているから恥ずかしい。

・6/7(火)に婿さんは休日で八王子まで合いに来て1泊した。 その晩は北野のうなぎ名店から「うな重」を取り、岩手産の「頑張ろう東北」ワインを買って帰り、ささやかな初孫誕生祝いをした。 「うなぎ昇り」の人生になるように。

婿さんは本当に子供好きだ。晴貴を抱いて放そうとしない。 仕事を頑張れるので孫の写真を、毎日携帯メールして欲しいとリクエストしているようだ。 IT時代だからできることだ。

婿さんは赤んぼうを1週間振りに抱っこすると随分重たくなっているという。 確かに反り返る力も日々強くなり抱いている手が痛くなる。 母親は24時間対応せねばならず大変だ、確かに母は偉大だ!

・土日は私(じいさん)が一応休日のため、主夫担当で炊事・雑用係り。 得意だった炊き込みご飯を作ったが大失敗。 気張って作ると往々にして失敗する。 少し固いが味はいいよと慰められる。 月・木・金は「ばあさん」が炊事係り、火・水は婿さんが休みで八王子に飛んでくるという風だった。

・6/16(木):孫の伯父(つまり私の息子)が急に合いにきた。私は不在だったが、娘の話では、お兄ちゃんは意外にも大変な赤ん坊好きでおしめの取替えも大変上手だったそうだ。 独身だのにどこで経験した!?

・天然水の買出し係り:娘は放射能は気にしていないと言いながらも、八王子に来てもやはり天然水しか使わない。 赤ちゃんの母親とはそういうものだろう。 何度も重たい天然水の買出しに行かされた。 福島第一原発事故の状況が酷くなるなら、私の愛媛の実家に疎開させることも在り得たから当然だ。 原発はまだ安心できる状況ではなく、最近、都心でも放射能線量が多いホッとスポットがあるとか言っており気がかりだ。 原発事故は本当に罪深い。

・娘と孫が都心のアパートに帰った後の天然水や食料・雑貨の買い付けはイトーヨーカ堂のネットスーパーを利用するようにアドバイス。 赤ちゃんの世話でくたくたの母親には、ネットスーパーは有難い存在になるはずだ。 これもIT時代の恩恵だ。 

・6/21(火):八王子から都心のアパートへ戻る日。 婿さんがチャイルドシートを買ってからやってきた。 ネットで物をみないで買うのは心配なので自分の目で確かめて買ってきたようだ。 車にチャイルドシートを取り付けるのは結構難しいようで、1時間ほど掛かった。 取り付け&使用のDVDマニュアルまで付いていて婿さんは心配なのかじっくり見ていた。 

持ち帰る布団セットや沐浴のタライなど荷物いっぱいを何とか車に積み込んだ。 最後に孫の晴貴がチャイルドシートにすっぽり収まり、「ん、なんか違う?」という顔つきをしたが泣かなかった。 安全運転で帰るように言って見送った。 急に静かな家になった。

・アパートに帰った翌日から35℃を超える夏日となり、大変だったようだ。 1ヶ月検診で特に問題なく、体重も4Kgを超えたとか、成長が早い。

以上が初孫誕生直後の実家滞在の記録です。 赤ちゃんは本能的に大人をとろけさせる魔法を備えていますが、自分の初孫となると、自分の残された寿命から新しい命の連鎖を感じて、ギャーギャーと煩いけれども愛おしい存在ではあります。 

私が生まれた1947年は戦後の混乱期で、都会の京都だったから、亡くなった母は食料調達で随分苦労したようだが、当時の苦労話をもっと聞いておけばよかったと悔やんでいる。 昔は赤ちゃんが泣いてもほったらかしにして仕事や農作業をせざるを得なかった。 それに比べれば今の赤ちゃんは平和で過保護すぎるくらいに恵まれている。 過保護にすぎず、すくすくと闊達な男に育って欲しい。


2010年12月31日

2010年歳末雑感

2010年も大晦日となった。 ブログ投稿は8月以来4ヶ月ぶりと随分さぼっていた。 他人に「ブログをやっています。」と偉そうに言えなくなった。

例年どおり故郷で正月を過ごすため、12/25(土)朝に東京から車に商売道具(パソコン他)を積み、長路920km先の伊予大洲に向かった。 東京は冬晴れの良い天気だったため油断した。 八王子インターから中央高速に乗りしばらく走ると、「伊那から恵那SAまで、雪のためチェーン規制」の表示、こんなに良い天気だからそのうちにチェーン規制も解除されるだろうと甘い思い込みでドンドン走った。

ところが諏訪湖に近づくと天気が急変、粉雪が窓ガラスを叩くようになった。 それでもいつもの「なぁ~に、何とかなるさ!」の甘い精神構造で走り続けた。 その間も風と雪は強くなる一方。 ついに伊那ICで車止めされ、ノーマルタイヤの私の車(チェーンも持っていない)は高速道路から降りてくださいと言われた。

一般道を走りその先を進むか、高速道路をUターンするかしかなくなった。 ここまで来て戻るなんて今日の内に実家につかない、新潟に出向していた時に雪道も多少は経験している、よし!一般道を走るぞ。 ところが一般道はさらに吹雪いていた。 吹雪で視界も悪くなり対向車とすれ違うのも恐い。 恐怖が先にたってきた。 

ついに先にゆくのを断念! 車のナビを設定し直し、再度、伊那ICから中央高速に乗り、東京方面へUターン。 甲府の近くの双葉JCから中部横断自動車道へ乗り換えた。 ここまで戻ると上天気! 雪を冠した富士山の雄大な姿を真近に見らえたのがせめてもの慰め。 なんだこの天気の変化ぶりは!? やはり山の天気は恐い。

中部横断道路

その先は一般道を数時間走り、東名高速清水ICにやっと乗り継いだのは、夕方5時過ぎ。 ほっとしたのか疲れか睡魔が襲ってきた。 危なくて車を運転するどころではない。

 数時間眠り数時間運転を繰り返し、東名高速→名神→中国自動車道→山陽道→瀬戸大橋と乗り継ぎ、翌朝にやっと四国上陸し、松山自動車道を進むと、最後の落ちが待っていた。

小松JC→松山→大洲間が雪で通行止め。 雪も降っていないのに何故通行止めか!? 一車線対抗道路の松山道は昨晩の雪が残っていて、まだ通行止めが解けないようだ。四国の高速道路らしい。 また、一般道路に降り今治近くの桜三里の山越えで雪が残った山道を恐る恐る峠越えし、伊予市からは山道を避けて瀬戸内側を走り、へとへとになって大洲の実家に帰りついたのが12/26(日)のお昼。 所要時間27時間、走行距離1,270kmの記念すべき苦闘の大ドライブとなってしまった。

瀬戸大橋

それにしても先々をよく調べずに甘い見通しで先を進んだ私のドライブ行は、正に袋小路に来ている今の日本の行動のようだと後から苦笑した。 

四国と本州間に3ルートも立派な橋を掛ける余裕があった(無駄遣いができた)日本だったのに将来見通しが甘くお金の使い道を誤った。

数十年前には少子高齢化人口減少時代が来るのが分かっていたし、引いては年金など社会保障制度が維持できなくなるのは予測がついていたはず。 失われた20年の政治の無策ぶりが、今になって気づくといかにも惜しい。 人口減少の日本で若い人の働き場所がない日本などおかしいに決まっている。

政治の責任ばかりにはできないかもしれない。 私のように国民皆なが20年前には今日のような酷い日本になるとは思わず、「なぁ~に、何とかなるさ!」と甘ちゃんで危機感がなかったのだから。 日本の国民性は私のドライブ行動のようにどうしようもない処まで追い詰められて吹雪で恐怖を感じないとUターンできないようだ。 すぐ先に財政破綻が見えている日本だのに、身内の権力闘争ばかりしている政治には恐怖という「外圧」が早くきた方がむしろよい

故郷の旧市街は歳末だというのに活気がない。 昨日、昔からお世話になっているハム(無線)のOBさんの散髪屋さんに散髪に行ったが、郊外のチェーンストアなどに客は移ってしまって、旧市街の個人商店はどこも跡取りが居ても商売を継がせてやっていける見込みもないから、親の代限りでシャッターを閉めていくところばかりとか。 営業している商店もシャッターを閉めても土地家屋は買い手がつかないから細々と続けているだけという。 そういう私も今日は車で郊外のスーパーに買い物に出かけた。 確かに旧市街は人が通っていない、なんとも寂しい限りだ。 

来年は日本も遅ればせながら袋小路からUターンして希望が持てる新しい道筋ができるキッカケの年になりますように。 地方にも希望が見えてきますように。

そんな思いがつのった大晦日です。 忙しかった2010年も大病もせずになんとか無事に年越しができることに感謝! 2011年が良き年でありますように。


2009年12月30日

2009年歳末雑感

2009年も晦日になった。 昨年の大晦日のブログ記事「2008年大晦日の新聞記事拾い書き」の最後に“地元の愛媛新聞から。「どうかもうこれ以上世の中が悪くならないよう、除夜の鐘の音と共に近づく新しい年の足音に、ささやかな幸せを願う」(てかがみ:おおつごもり 65歳女性の方) 本当にそう願いたいと思います。 来年のおおつごもりにはどのようなブログを書いているだろうか。。。。” と投稿しているのを読み返した。 1年経ち、皆が変化を求め民主党への政権交代が実現したが、世界の中で日本だけがリーマンショック後の大不況から立ち直れず失業は増え、将来への展望が開けず世の中は更に悪い変化に向かっているように感じる。

個人的雑感や身の回りのことも交え覚書き的に書き留めておきます。

■夏に続き、正月は愛媛の故郷で過ごすべく、東京から車で移動した。 12/23の祭日に移動するつもりだったが、ひょんなことから12/26(土)に延期した。 ところがところが、土・日はてっきり「高速どこまでも1,000円」と思い込んでいたが、なんと民主党が09年の12/26、27の土日は渋滞緩和を口実に適用外としていたのを知らなかった。 私のように普段は高速道路を使わない人が年末に使うのだから、もっと周知徹底すべきだ。 

そもそも「渋滞緩和のため」なら、最初から高速1,000円などにすることがおかしい。 こちとら、パソコンなど荷物が多いから渋滞覚悟の上で高速を使う選択をしているのだ。 12/26、27の土日は適用外にするが、1/4(月)、1/5(火)は例外適用するという。 車は往復で使う人が大半だし、サラリーマンなら1/4(月)から初出の人が多いから大して意味がないだろう。

これは瑣末なことだが、ことほど左様に鳩山民主党の経済・外交・内需政策のやること為すこと、筋が悪く気に食わない。 昨日の新聞では鳩山政権の支持率が50%を切ったとのことだが当然だ。 もっと下がるだろう。 鳩山首相の実母からの12.6億もの資金提供の額にも驚くが、鳩山首相本人は知らなかったとし、約6億の贈与税を一度に払ったという。 知らなかったということはあるまいし、6億もの巨額をポンと払えることに驚く。 このような人が「友愛」だとか「庶民のお一人お一人のために」などと言っても胸に響かず白々しく感じる。

来年(2010年)も政治には期待できず、政治混乱から日本経済の低迷が続きそうだ。 少し前まで、日本の政治は三流だが企業は一流と言われてきたが、三流政治が長く続いたおかげで日本企業も、日本国も、もう二流になってしまった。 我々、本当の庶民は自己防衛しつつ自分の感度を上げて政治に物申すしかなさそうだ。

■ネット最新トレンド追っかけ:私はネットショップを運営している関係上、ネットの最新動向にはアンテナを向けているつもりだが、どうも早すぎて追いつけていないようだ。

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 先日、あるお客様から“携帯で検索しお宅のショップを見つけケータイからカード決済で注文したが、キチンと注文ができているか?”と問い合わせが入った。 話ぶりから中年の男性のお客様だった。 スマートフォンのi-Phoneが人気で売れておりソフトバンクは業績好調と聞いていた。 若い人は勿論、中年層まで予想以上にケータイからのネット利用が進んでいるようだ。 若い人はパソコンは持たず全てがケータイオンリーの人も多いという。

早速、自分のケータイをi-Phoneに切り替えた。 なるほどi-Phoneが人気なのが分かる。画面が小さいがパソコンと同じだ。Apple流の洒落た操作感覚も気が利いている。 パソコンのKBライクの入力もできる。

ケータイオンリーのネット利用は更に拡大しそうだ。 屋外ではネットブックよりもi-Phoneなどスマートフォンの方が手軽でどこでも使えるから、スマートフォンに分がありそうだ。

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Twitterが流行りだし、ネットビジネスでもTwitterを応用する動きが広がっている。Twitterに登録したが、まだ、何故広まっているのか実感が伴わない。 140字以内に制限された「つぶやき」へのクイックレスポンスが人気だとか。 ブログも誰かが読んでくれて時折コメントしてくれるのが嬉しいがブログのトラックバックは宣伝利用ばかりで禁止してしまった。 ネットは変化が激しい、早くもブログもピークを過ぎつつあるのか。

Twitterはコメントも気軽に返せるやりとりが世間に「つながっている」感じがして受けているようだ。 以前にSMSのMixiに入ってみたが、どうも密な仲間内感覚が性に合わず止めてしまった。 Twitterはまだ良く分からない。ネット最新トレンド追っかけ体験は、また別の機会にブログに投稿してみたい。

■嫁いだ娘から身ごもったと連絡が入った。 やっと初孫ができるかと嬉しくもあり、おじいさんと呼ばれるのも嫌だなとも身勝手に感じていた。 3週間ほどして突然の流産したとの知らせ。 最初は娘の身や娘夫婦の落胆を案じる気持ちが強かったが、後からは、天からの貴重な贈り物が失せてしまったような残念さに駆られた。 子孫を残したいという人間の本能からか、老い先がそれほど長くないという潜在意識からだろうか。

■1ヶ月ほど前の日曜日、朝起きに胃の激痛に見舞われた。 1時間半ほどしても痛みは増すばかりで何度も吐いた。 已む無く、119番して救急車に来てもらい救急病院に運んでもらった。 救急車で運ばれるのは初めてだったが痛さで恥ずかしさも消し飛び何度も痛い痛いとわめいた。 病院で一通りの検査をしてもらったが原因は分からず、点滴を打ってもらい1時間ほどベッドに横たわっていると痛さがスーと和らいでケロッと直った。 さらに1時間ほど安静にして帰り際は少し恥ずかしかった。 もう歳だから無理するなとの警告だろうか。 この歳になると何時向こうから終止符宣言が来てもおかしくはないと実感した出来事だった。 幸いその後はなんともなく元気で、前の調子で、また夜型生活に戻ってしまって久しぶりにブログを書いている。

■今日はお正月を前に実家の墓参り・清掃に行ってきた。 お墓はお寺さんの裏の小高い丘の上にあり、丁度真正面に1本の桜の樹があり枝をお墓に向けている。 四月には綺麗な桜を咲かせ花びらがお墓に舞い落ちる。 この時期はもちろん花も葉もない冬篭りの桜だ。

竹内まりやの「人生の扉」の満開の桜や 色づく山の紅葉をこの先いったい何度 見ることになるだろう ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ    But I still believe it's worth living”という歌詞を思い出した。 

自由の身ながら忙しかった今年もなんとか無事に過ごせた有難さを感謝し、来るべき2010年も健康で良い一年になりますように。 そして日本の政治と経済が再生のきっかけが掴めますように!


2009年08月21日

故郷の夏 ’09

私の故郷、愛媛県大洲市で過ごした2週間の夏も終わりつつある。

今年は高速道路料金1,000円に釣られて東京から車で帰省した。瀬戸大橋の別料金1,100円を入れて高速料金は2,100円。 ガソリン代を入れても新幹線利用よりも1万円弱は安い計算だが、お盆の前の週だったにも関わらず予想以上の大渋滞で、途中20km以上の大渋滞に3回も捉まり、16時間もかかりヘトヘトになり帰り着いた。 とんだクタビレ儲けだった。

高速道路料金1,000円の及ぼす効果を甘く見ていた。 政府の景気対策を“ばら撒き”と批判しておきながら、それに乗っかっている自分に苦笑するが、人間とはそんなものだ。 この点では、不人気の麻生内閣だが、緊急景気対策は意外に効いているのかもしれない。

大洲のう飼いとお城

今年の夏は天候不順で、夏らしくない夏だった。 局地的豪雨による災害、地震の多発、大動脈の東名高速の崩落にも驚いた。 実家でもエアコンはほとんど点けなかった。 こんな涼しいというよりも変な夏は記憶にない。 地球環境が変わりつつある証拠か、何か不気味だ。

今年の夏はまた、天下分け目の政権選択の夏ということで、昨日、片田舎の我が町にも民主党の菅直人代表代行が応援演説にやってきた。 菅氏は演説で“大洲など地方の町は東京や大阪に若い人を吸い取られてきた。 また、東京一極集中で、国や霞ヶ関にお伺いを立てないと何事も決まらない。 地方が自立できない、若い人が地元に残れないのは、皆さん、おかしいとは思いませんか!?”とまくしたてていた。 

その通りだ。 それが理想だが、そう物事は簡単ではない。  団塊世代の私自身も吸い寄せられた(出稼ぎし都会で核家族を作った)身だが、昔も今も時代環境は違うが、人間は魅力的な場所(食べていける場所・働き口、立身出世、目標・やりがい、など)に吸い寄せられるのは変わらない。

たまたま、故郷・大洲市の広報が配布され、平成20年度の財政状況報告が載っていました。 歳出229億円の内、公債費(つまり借金の返済)が45.7億円で2割もあります。 歳入243億円で市債(つまり新たな借金)が23.5億円で約1割あります。 市債残高は384億円で歳入の1.6倍もあります。 国の財政悪化も深刻ですが、地方の財政も苦しい、1割借金して、返済2割に回しているのだから。 そうそう、団塊世代で建設業界をバックにしていた現役・大洲市長が昨日、がんで亡くなった。 大洲市も“We Can Change”、変化のチャンスかもしれない。

確かに地方自立は必要だけれど、日本全体がグローバルな世界相手に成長していかないと内需だけ、地方だけでは当然ながら生きていけない。 

大洲市に工場があるパナソニック寿は今年閉鎖が決まったとのこと。 昔からの街なかはシャッターが閉まった店が増えた、頑張っている商店・老舗も高齢化が進む、国道沿いに立ち並ぶ全国チェーンの店も入れ替わりが激しいようだ。 大洲市も「街なか再生」事業、う飼いなどを中心とした新機軸観光プラン、農産物直売所新設などに力を入れているようだが・・・。

太平洋戦争の大きな犠牲を払ってやっと復興し高度成長を果たし世界第2位の経済大国になった日本なのに、どこから歯車が狂ったのか。  NHKの戦争を体験している世代が高齢化している今こそ、悲惨だったが故に秘められた記憶や想いを広く集め・記録し、戦争を知らない世代に伝ていこうという番組は秀れて意味がある、さすがNHKだ。  還暦を過ぎた私でさえ戦争を知らない世代なのだから。

今度の衆院選挙の結果は我々個々人にも大きな影響が出てくる。 国も、市も、企業も、リーダーの良し悪しで大きく変わる。 優れた政治家を選び、変革ができる政治体制が出来、是非とも地方活性化や日本の再生のきっかけになって欲しい。 

お城山が見える肱川の土手沿いをよく散歩しますが、清流沿いの景色は変わらないのに、あくせくして生きている人間だけが変わっていく(老いていく)。 それは寂しいけれど変わらない故郷の景色が、また人を癒してくれる。 そんな感慨を持った故郷の夏です。

Ref;おおず歳時記探訪

 


2009年07月12日

髪結いの亭主のモールス信号

随分久し振りに「髪結いの亭主」という言葉を耳にした。

最近は、歳をとったせいか、子供の頃の断片的な記憶をちょっとしたきっかけで思い出すことが多い。 私は小学校の6年生頃だったか、「髪結いの亭主」にモールス信号を習っていたことを思い出した。 もう50年近い前のことだ。

その頃、私はアマチュア無線(ハム)に興味を持ち、ツートツートのモールス信号も覚えたくて、多分、母親にそのようなことを言ったのだろう。 そのうち、母がどこからか、モールス信号の家庭教師を連れてきて、毎週自宅で1時間ほど習うことになった。

モールス電鍵

そのモールスの先生は40歳代だったか、「髪結いの亭主」で仕事はなくブラブラしているので喜んで家庭教師を承諾してくれたのよ、と母が言ったので、「髪結いの亭主」って何?と聞くと「奥さんが髪結い(パーマ屋さん)で稼ぎがあるから働かなくてよいのよ」ということ、奥さんの「紐」という言葉もそのとき知ったように思う。

なんでも海軍で無線を担当していた人で太平洋戦争の生き残りだそうだとも聞いて、子供心に憧れも感じた。 そのモールスの先生は穏やかな人だったが、名前も顔も思い出せない。 「モールスは腕は動かさないで手首で打つのだよ」と教えてくれた記憶だけが残っている。 

その時に「髪結いの亭主」という楽な男の生き方もあるのかと思った。(否、もっと後で思ったのかもしれない。) 何か甘酸っぱい言葉の響きを感じた。 まだ、戦後を引きずっている時代で、そのような生き方が大っぴらに許されたのかもしれない。

モールス先生はどのような人生観を持っていたのだろうか? その後、どのような人生を生き抜いたのだろうか?  ぼんやりしていた子供の私には分かりようがなく、ただ優しく大人しい印象しかなかった。 自分が還暦を過ぎた今になってやっとこんな思いを持つとは、人生の年輪とは皮肉なのか巧くできているのか。

昨年の夏、帰省した折、松山市の「坂の上の雲ミュージアム」を初めて見学した。 展示物のなかに、音が出る練習用モールス電鍵(でんけん:写真参照)があり、懐かしくなり自分のハムのコールサインのモールス信号を叩いてみたが、頭ではモールス信号は覚えているのだが、モールス先生に習い覚えた筈の手首の柔軟さは失われモールス信号にならなかった。 情けないが歳のせいか!?

 −・−・(ツートツート) −−・−(ツーツートツー)、 ・−−−(トツーツーツー) ・−(トツー) ・・・・・(トトトトト) ・−(トツー) ・・・(トトト) −−・(ツーツート)


2009年07月04日

東京オリンピックを今いちど!

今の政治の混乱ぶりを見ていると嫌になる。東国原宮崎県知事が“総理候補にしてくれるなら”と自民党に迫り、マスコミがまた毎日過熱報道している。 日本のトップ(首相)の椅子はそんなに軽いのか、東国原氏の軽さ、政治の軽さ、マスコミの軽さを感じて、これまた、あまりいい気分ではない。

その点、スポーツ番組は素直に面白い。 ルールに則りフェアプレーで実力で雌雄を競うから、観ていてスッキリするのだろう。

2016年オリンピックの開催地が10月2日に決まる。 東京は「世論の支持」の低さがウイークポイントと言われている。 IOCがはじき出した世論支持率はマドリードが90%、リオデジャネイロが77%、シカゴが74%で、東京は59%で大差の最下位だ。 強気で知られる石原都知事からも、今後は日本人が苦手なロビー活動で決まると苦戦を認めている。

今だからこそ、東京オリンピック

私は、素直に「今だからこそ東京でオリンピック!」に大賛成です。東京オリンピック招致に成功してもらいたい。

1964年東京オリンピックの年、私は田舎の高校2年生だった。 あの時、誰もが興奮し、やっと敗戦から復興し高度成長時代に入った日本、頑張れば明るい将来が待っているのを実感できた。  バレーの「東洋の魔女」、金メダルを賭けたロシアとの決勝戦、高校から急いで帰ると我が家では、母親や近所の叔母達が集まり(まだTVがない家もあった)、TVに釘付けになり歓声を上げていた。 裸足では走らなかったがマラソン金の超人アベベ、銅の円谷(後に自殺)。 敗れた神永に礼をつくした柔道決勝戦のヘーシンク。 田舎の高校生だった私には世界の多様さを知る刺激的なイベントだった。

YuoTube−東京オリンピック(1964)動画 ←クリックすると懐かしい東京オリンピックのフラッシュバックが見られます。(投稿者に感謝!)

それから45年後の現在、閉塞状況の日本、明るい話題・目標が欲しい。 45年前とは時代環境は大きく異なるが、地元のオリンピック、生で見れるオリンピックは子供達にも、私が味わったような刺激を与え、鮮烈な記憶を残すと思う。

経済効果も大きい。 少子高齢化で地盤沈下していく日本だからこそ、東京の都市の魅力度を高め、世界から人・物・金が集まる都市・東京に成長させていく絶好の契機になる。 地方との格差を問題視する向きもあるけれども、日本全体の地盤低下を食い止めるためには、東京の魅力度を高め日本全体を吊り上げてもらうのが得策だと思う。

オリンピックに掛ける血税を問題視し反対する向きも多いが、招致委員会資料によると、開催費用は、「施設整備・建築費」が総額2,406億円、うち公的資金は2,360億円。(参考:1964年の東京オリンピックでは新幹線や道路、地下鉄などすべて合わせると1兆円だった。そう言えば、鳩山前総務大臣がトンチンカンに騒いでいた「かんぽの宿」に使った金も2,400億円だった。)  「運営費用・オペレーション」が1,790億円、これはすべて民間資金で賄い公的資金は一切使わないとしている。

効果が見えなかった定額給付金で2.2兆円もばら撒くよりは、2016年東京オリンピックに掛ける投資の方がよほど安く(今後水増しされたとしても)、比較にならないほど有形・無形の効果が大きいのは明らかだ。 お金は使い道次第だ。

2016年東京オリンピックの支持・賛成者が増えて、10月には是非、「東京オリンピックを今いちど!」を実現してもらいたいものだ。 

Ref:2016東京オリンピック招致委員会HP :なかなか良く作られています。東京の魅力紹介、名所、有名レストランなどの紹介もあります。

五輪招致Yahooニュース 

五輪招致の決定的弱点は世論支持率の低さ

今一度、世界の東京を目指したい

※本記事は「@あるん(あっとあるん)の団塊・シニアのコミュニティー」との連携投稿です。


2009年01月29日

竹内まりやの「人生の扉」が心に沁みる

正月を故郷で過ごした折、久し振りに会った親しい後輩と若い頃に行きつけだった茶店に行くため車に乗せてもらった。 車内で女性歌手の軽快なポップスが流れていたので、誰かと聞くと「竹内まりや」でした。

後輩の奥さんは竹内まりやのファンでよく聞いているとのことだった。 後から後輩がCDにコピーして渡してくれました。 それまでは「竹内まりや」をよくは知らず、NHK朝ドラ「だんだん」の主題曲を歌っているのを知っている程度で、特別にファンでも何でもありませんでした。

貰った竹内まりやのCDを聞き、その歌曲の軽やかな清々しさにすっかり「myお気に入り」になってしまった。 中でも「人生の扉」は歌詞も秀逸で団塊世代の私には心に沁みいり、とても好きな曲だ。

ネットで竹内まりやを検索すると、YouTubeで「人生の扉」を無料で聞けるし、歌詞も難なく手に入れることができます。  ネットの威力を実感しますが、これでは、音楽CDや本の売れ行きが落ちてレコード会社や出版業界が苦しいのは当然です。

・YouTubeで「人生の扉」を聞く

・「人生の扉」の歌詞

この歌詞にある「満開の桜や 色づく山の紅葉をこの先いったい何度 見ることになるだろう」という歌詞は、入院していた私の母が亡くなる前の年に車で夜桜を見に病院から連れ出しお城山の夜桜を車のヘッドライトをアップにして窓越しに満開の桜を見せた時が最後のお花見だった記憶とも重なり、私にとってもいったい何度の桜の季節が残されているのだろうと、少しセンチメンタルになります。

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living

REF:竹内まりや−Wikipedia

※本記事は「@あるん(あっとあるん)の団塊・シニアのコミュニティー」との連携投稿です。


2008年12月31日

2008年大晦日の新聞記事拾い書き

今日は2008年の大晦日、何という急激な変化が起きた年だったのか!?  しかも9月からのわずか4ヶ月間で世界の景色が一変して深刻な世界同時不況となってしまった。

2008年はグローバルな世界の政治・経済・金融のパラダイム転換の起点の年として、後世に記録される年になるだろうと言われている。

大晦日は久し振りにじっくりと新聞を読む時間が取れた。 ブログの投稿もご無沙汰だった。 今朝の日経新聞の記事は2008年を総括する記事が多かったので、後世に残るであろう2008年の出来事のキャッチフレーズ、目に付いた記事を自分の頭の中を整理する意味も含めて拾い書きしておきます。

・日経平均株価、年42%安、最大の下げ。 26年ぶり安値、7,000円円割る場面も。 時価総額200兆円目減り。 円、25%上昇対ドル。 世界株安加速、時価総額2800兆円に半減。 

・家計の金融資産目減り、評価額減少響く。 国民1人当たり約160万円の株式価値が目減りした計算。 (私も被害者の一人だ!)

・揺らぐ米国、オバマ氏に重責。 型破りな新大統領。 ビッグ3再建課題。 

・金融危機、日本飲み込む。麻生政権 対応は後手に。 迷走・失言続き支持率急落、司令塔の機能低下。  景気対策 空前の75兆円、経済の足腰強化効果には疑問符。 日銀「異例中の異例」を連発。

・そもそも世界不況の原因は? 過去数年、世界経済は5%の高成長を遂げた。米住宅バブルの崩壊は引き金に過ぎない、地球全体として5%成長率は高すぎた、資源高など危険な信号は数々あったが途中で引き返すことができず、急激な調整になった。 (次の世界:危機の跡に 新日本製鉄会長 三村明夫氏)

・日本企業の課題は? 危機をチャンスに転じること。 日本には幾つか有利な条件がある。 欧米との相対比較では金融資本はそれほど傷んでいない。 欧米の比重は低下し中国やインドなど新興国経済への重心シフトが起きるだろう、その中で日本がアジアの一角に位置する有利さ。(次の世界:危機の跡に 新日本製鉄会長 三村明夫氏)

・優勝劣敗をベースの資本主義に欠点はあっても資源を効率的に配分し、企業や個人の意欲を引き出す点で非常に良くできている。 私たちはこれ以上のシステムは持ち合わせていない。(次の世界:危機の跡に 新日本製鉄会長 三村明夫氏)

・100年に一度の事態、金融危機、見えぬ出口。 なぜ、リーマンだけが支援対象外だったのか。 トヨタ、初の営業赤字に転落。 電機・石油業界大型再編動く。 株安、金融機関に打撃、かさむ減損処理・赤字転落の大手行も。

・パラダイム転換の起点の年。 千年単位の変化は欧米からアジアへの経済軸移動、文明史的変化が実感されるだろう。 百年単位の変化は世界は米一極集中から多極化に向かうだろう。 30年単位の変化は行き過ぎた自由化と至上主義の修正で、政府の再定義と金融主義から実物主導への振り子のゆり戻しが起きる。 金融を実体経済の僕(しもべ)に位置づけ、社会や企業の発展に貢献する独自の長期投資の環境整備が急務。(大機小機 渾沌氏)

・原油、最高値後に急落。WTI(原油先物価格)は1月、史上初めて100ドルを超え、7/11には最高値147.27ドル、その後は一本調子に急落。9月に100ドルを割り込むと一気に30〜40ドル台に駆け下りた。 外航運賃、最高値後1/20に。 産業資材・電子部品、国内外の需要失速、値下げ圧力高まる。 穀物、後半は下げ一辺倒。 食品、揺らいだ信頼、価格も乱高下。

・2009年の日本経済:円高、高齢化を逆手にとれ。 2008年は恐ろしい年だった。2009年もまた激動の年になるだろう。ただし、そこには危険と同じくらいのチャンスがある。  08年の金融危機とは何だったか、一言でいえば70年代からのペーパーマネー体制の崩壊である。 人口構造が変わり米の過剰消費体質是正へ。(経済教室 堺屋太一氏)

・団塊世代の高齢化で年功序列終身雇用は終幕、このことは経験豊かな労働力が大量に供給されることを意味する。 団塊の世代よ、君たちは未来をあきらめてはいけない。 君たちこそこの国を変える力がある。政治家と世論が正しく見通して欲しいところである。(経済教室 堺屋太一氏)(少し団塊世代を買いかぶり過ぎの感じもしますが。。。)

・70年代の英国では産業や社会の構造転換が遅れ、大量の失業に直面し「英国病」の患者と言われた。 ところが、サッチャーからブレアまで、わずか3人の首相が28年間を統治し、英国経済は蘇った。 この間の日本では自民党の派閥と与野党は政策よりも「政局」に明け暮れ、15人が首相になった。 中長期的視野で「亡国の兆し」に対して国民が奮起しなければ、日本の将来に明るい展望を描くことはできない。(私の履歴書 小宮隆太郎氏)

最後に、今、帰省中の地元の愛媛新聞から。

「どうかもうこれ以上世の中が悪くならないよう、除夜の鐘の音と共に近づく新しい年の足音に、ささやかな幸せを願う」てかがみ:おおつごもり 65歳女性の方)

本当にそう願いたいと思います。 来年のおおつごもりにはどのようなブログを書いているだろうか。。。。


2008年12月07日

下戸のルーツと損得勘定

私は下戸である。 師走のこの時期、サラリーマン現役時代は例に漏れず仕事関係、友人関係の忘年会、納会など飲む機会が多かった。 下戸の私にとっては12月は憂鬱な多くの宴会を如何に上手くやり過ごしながらも、仕事の区切りも付けていかねばならない確かに忙しい師走の月でした。

12月6日日経プラスワンの「裏読みWAVE」に「酒豪と下戸 ルーツは」という囲み記事が載っており、下戸の私には興味深かった。 記事の要旨は次の通り。

・「東北や九州の人は酒豪が多く、中部や近畿の人は酒に弱い下戸が多い」というイメージを元筑波大学教授の原田勝二氏が調査で実証した。

・酒が強いか弱いかはアルコールを分解する酵素の働きに左右される。 それが遺伝的体質で決まると突き止め分布状況を調査した。

・酒に強い遺伝子型を持つ上戸の割合が多い都道府県は、秋田(77%)、鹿児島(71%)、岩手(71%)、福島(70%)、埼玉(65%)、山形(65%)、北海道(65%)、沖縄(65%)、熊本(64%)、高知(64%)と続き、特に東北、九州の比率で多かった。 逆に最も酒豪が少なかったのが、三重(40%)、愛知(41%)、石川(46%)、岐阜(48%)、和歌山(50%)、広島(52%)、大阪(53%)、岡山(54%)、富山(55%)と続き、中部、近畿の比率が高かった。

・下戸は白人や黒人には見られない黄色人種特有の現象。下戸の遺伝子は「中国南部で突然変異により生まれ、それが渡来人として日本に移住し、混血しながら広がった」と解説している。

・もともと日本土着の縄文人は白人や黒人と同様に酒豪ばかりだった。 だが、都を置いた近畿やその周辺など渡来人の”通り道”に下戸が増えたと考えられる。 ちなみに全国から人が流入する東京の酒豪比率は60%(19位)と全国平均だった。

なるほど、私の父方は京都で母方は愛媛だから下戸の私は渡来人のルーツのようだ。 私の息子は酒がいけるくちだから母方の血を引いているようだ。

それにしても下戸だった私はトータルで得だったのか損だったのか、勿論支払った莫大(?)な宴会費の元は取り返しようもなかったが、酒の上での失敗も起こしようもなかった。

定年退職後は、当然ながら仕事としての酒の席に出る必要もなくなり下戸の憂鬱は無くなった。 友人関係の飲み会は続いており、早めの忘年会で昨晩久し振りに集まった。 酒豪の友人が”普段は飲まないし、家でも飲まないのだが、飲んだ時の「ふんわり感、ぼーっとした高揚感」がなんともいえない気分だ”と言う。

下戸の私には終ぞ味わえなかった気分で、一度は味わって見たいものだ。 果たして、私の人生で「下戸の損得勘定」はどちらか、やはり損が大きかったような気がする。 それにしても、黄色人だけに大昔に突然変異で発生したという「下戸の遺伝子」が今に続いているということは、進化論的には「下戸のメリット」も大きかったのだろうか。


2008年11月24日

市井のブログは後世に残るだろうか?

今年2008年は源氏物語の存在が記録の上で確認されたときから1,000年を迎える源氏物語千年紀とかで、メディアにも多く取り上げられ各地で記念イベントが催されているようです。

そのニュースを聞き、私のような「市井の名もない個人ブログ・コンテンツは後世に残るのだろうか?」と、ふと思いました。

紙に記録されたコンテンツとは違い、デジタル化されたWebコンテンツだから普通には虫食いでボロボロになることもなく劣化や損傷がないから、未来にも容易に残るように思えますが、果たしてそうだろうか?

ブログが誕生して10年程、広く普及しだしたのは、まだ5〜6年です。 Googleは世界中のあらゆる情報を集めつくすと豪語して、何10万台という分散サーバーに日々情報を蓄積しているそうです。 そのGoogleも創業してまだやっと10年です。

ブログ記事も含め、Web上のコンテンツは各企業(ポータルサイト)のサーバーの中に蓄積されている電子データーです。 つまり、自分が契約している企業が将来に渡り、何年間存続するかによって、自分のブログ・コンテンツの寿命が決まってしまうことを意味しています。 企業の栄枯衰勢は30年と言われていますから、ましてやインターネットの世界は10年後の予測もできません。 デジタル・コンテンツだからといって後世に残るとはとても言えないようです。 逆に紙ベースのコンテンツよりは、よほど簡単に相手(企業)の都合(倒産など)で消されてしまう可能性があります。  つまり、個人ブログは何もしなければ後世には残らないと思えます。

私は、父と早くに別れお爺さん子でしたが、その祖父も私が中学生の時に亡くなりました。 祖父の左腕に日露戦争で銃弾が貫通した傷跡が残っていました。太平洋戦争では祖父は可愛がっていた末息子(私の叔父)を神風特攻隊で失っています。 よほど辛い体験だったのか祖父から戦争の話を一度も聞いた記憶がありません。

激動の明治・大正・昭和を生きた祖父はどのような想いや考え方を持っていたのだろうか?  団塊世代の私は今頃になって、そんな祖父や父母の生き方、考え方、想いをもっと聞いておけばよかったという気がしています。

そのような意味で、50年後、100年後に私の孫や曾孫が今の私の年頃になった時に、自分に近いルーツの人間を知りたいと思うかもしれません。 ブログは「子孫へのタイムカプセル」として格好な橋渡しメディアになり得ます。 

ブログを運営しているポータルサイトは何10年も存続していないでしょうから、自分のブログ・コンテンツは自分でセーブしてタイム・カプセル化しておかねばならないのでしょうか。 ひょっとしたら「個人ブログのタイムカプセル化」はビジネスとして成立するかもしれません。

ブログを書き始めたのは、そんな動機からではありませんでしたが、定年退職後の張りあいとして、自分の記録として、書くことが好きで誰かに読んでもらいたいのが本音で始めたブログでしたから、自分の子孫が私のブログを読んでくれるかもしれないと勝手に想像をたくましくするのは面白いことです。 

 


2008年11月06日

やはり、アメリカは凄い国だ!

2008年11月5日、初の黒人大統領オバマを米国民は選んだ。 TV各社は色々な角度から「オバマ圧勝!黒人大統領誕生」と大々的に伝えている。

これは「後世に残る歴史的一日だ」ということなので、感じたことをブログに残しておきたいと思いました。

TV報道では、シカゴのオバマの勝利宣言で7万人が集まり、人々はオバマの発する言葉に涙している。 黒人に限らず、白人も。 アメリカ国内に限らず、ロンドンでも、パリでも、オバマの祖母が住んでいるというアフリカ・ケニアの山村でも同様な光景が映し出されていた。  自分の国の大統領誕生に涙して歓喜している人がこんなにも沢山いるとは、日本と比べて「国のリーダー」への意識の差に驚いた。

私も含めて、日本人だけが妙に醒めて斜から眺めているような感じがしないでもありません。 メディア各社やコメンテーターが伝えたオバマ次期大統領誕生の「フレーズ」を書き留めてみました。 順不同で列挙しておきます。

“大転換、 歴史的一日、 熱狂と好感、 アメリカンドリームを自ら体現、変革をもとめる息吹、 オバマのキーワードは「empathy:共感」と「change:変革」、Yes,We can!、 金融危機がオバマ大統領を誕生させた 、米国民はブッシュに蝕まれたアメリカに劇薬(オバマ)が必要と判断した、 大恐慌後のルーズベルト大統領以来の難題を抱えるだろう、 揺らぐ市場主義→保護主義が台頭するか、  ドルは信認を保てるか、 傷ついたアメリカの威信は復活できるか、 富裕層への増税と低・中間層へ減税、 オバマの演説は素晴らしく上手・牧師の説教スタイルに似ている ” などなど。

ケニアからの移民の黒人父親と白人母親の間に生まれ、インドネシアで育ったオバマ氏、4年前に彗星のように現れ47歳の若さで米国大統領に選ばれた。 正にアメリカン・ドリームだ。  この事実だけで、アメリカはまだまだ凄い国だと感じます。 

ついこの間まで、アメリカの人種差別は根強く残っており、ワスプ(WASP:W = White(白人)、AS = Angro-Saxons(アングロサクソン人)、P = Protestant(プロテスタント)のそれぞれの頭文字を取ったもの)とユダヤ人がアメリカの支配階級だったはずが、金融危機・経済失速が「変革:CHANGE」できるリーダーを求めて、人種はさておき、実利が何か変えてくれそうな黒人大統領を選んだ。

アメリカ国民にとって、それだけ今回の金融危機→生活破壊は深刻なものだったということか。 日本にとっても、世界中の国々にとってもアメリカの危機は世界の危機であることを思い知らされた訳で、是非、Yes、We can change!のオバマ次期大統領に期待したいものです。

それにつけても、同じ民主党でも日本にはオバマのような清新なイメージの変革リーダーが出てこないのは彼我の政治風土の差だけだろうか。

蛇足ながら、清新なイメージで人気が高かった若い大統領というと、ケネディー大統領を思い出します。 ケネディーは1961年に43歳の若さで大統領に選ばれ、1963年11月22日にテキサス州ダラスで凶弾に倒れます。

私は当時高校1年生でした。 やっと放送衛星が打ち上げられた頃で史上初の日米衛星中継が明け方にあるとのことで固唾を呑んでモノクロTVの前で待ち構えていると、アメリカから送られた最初の画像が、予定されていたケネディー大統領の記念メッセージではなく、ケネディー暗殺を伝えるミミズのような文字列でした。 その後無音の砂漠の風景が映し出されていたのを、もう45年も前のことですが、このショッキングな出来事を鮮明に覚えています。

アメリカは多面的で懐が深い国と言われます。 初の黒人大統領をなんなく生み出すデモクラシーの国ですが、一方で銃社会で人気の大統領をあっさり暗殺したり、独善でイラク戦争を仕掛けたり、不動産・金融バブルに気づかず世界恐慌を引き起こしたりする複雑で凄い国だと改めて感じます。


2008年07月13日

昨今のガソリン&食材高騰!我が団地の変化

ガソリンがついにリッター180円を超えた。 多くの食材も価格上昇が急だ。 しかも、ここ半年足らずの急変である。 

その原因は、中国やインドなどの圧倒的な人口を抱える新興国が豊かになり、巨万の中産階級が出現し需要がさらに大きく増える一方で、石油を始め、鉄鉱石など地球資源は有限であることの意味に改めて皆なが気がついた。 さらにサブプライムローン問題で行き場を失った世界の投資マネーが原油や商品相場に流れ込み、価格急騰に拍車を掛けバブル化していると言われています。 

しかも、これは世界的規模の構造問題で、石油に替わる代替エネルギーが潤沢に供給されるまでは、容易に価格は下がらない、むしろ更に上がるだろうとも言われており、大変困ったことだ。

地球規模の話しはさておき、私が住んでいる分譲団地にも商店街・物売りの変化で、物価急騰の前兆が既に来ていたのに今になって気がつきます。

<我が団地の商店街・物売りの変化>

・団地の唯一のスーパーが3ヶ月前に閉店 ・・・・我が団地の総世帯数は約1300の中規模団地ですが、団地内の唯一のスーパーで歩いて行けて、ちょっとした買い物に便利でした。 お年寄りなどは重宝しておられたと思うのですが、やはり、大規模スーパーへ車で行き安くまとめ買いをするのが増えたためでしょうか。

・住宅販売会社の営業店が2ヶ月前に閉鎖 ・・・・団地エリアを地盤の営業店が他の営業店と統合のために閉鎖。 景気失速で住宅も購入マインドが冷え込んでいる影響でしょうか。 そういえば、去年は住宅販売のチラシが増えたと思ったものですが、最近はまた少なくなっています。 近くの新築分譲住宅もまだ入居者が決まらないようだ。

・団地に来ていた「物売り」が最近来なくなった ・・・・少し前まで週1、2回は軽トラックで来ていた「野菜屋さん」、「豆腐売り」が来なくなった。 さらに「さお竹屋」なども来なくなった。  ガソリン代高騰のアオリだろうか。  低利の生鮮食品の出前販売はガソリン代高騰で割りが合わなくなったようだ。

・逆に「廃品回収業者」が頻繁に来るようになった ・・・鉄スクラップの価格が急騰している。 日本も値段が上がっているが、中国など海外でより高く売れて逼迫しているようだ。 鉄に限らず、金や銀、ニッケルなどレアメタルの価格も高騰しており、パソコン、携帯、家電製品などからリサイクル抽出する旨みが高まっているとか。 その影響と思うが、毎日のように廃品回収業者が来るようになった。 しかも、2つ、3つの業者が入れ替わり立ち代わりで来るようになった。

団地を散歩しているとリサイクル業者のトラックが4台もかたまって停まっており、お互いに情報交換しているのを見かけた。 大掛かりに組織的にやっているのに少し驚きました。 かなり広範囲に色々な団地を回っているのだろう。

私自身も、身の回りの変化に気がつくのが遅すぎた感がありますが、「ガソリン急騰」&「食材高騰」の影響に実際にさらされてみて、やっと「エコドライブ」や「節約・省エネ生活」に本気になりました。 引いては、今まで現実味が乏しかった「地球温暖化」、「低炭素革命」とかの大きな言葉に個人としても急に関心を持たざるを得なくなってきました。

しかし、皆が何もかも消費を抑えてしまうと、景気はさらに冷え込み、消費不況が長びく悪循環となってしまうので、一方では、政府に内需を喚起するために、それこそ環境ビジネスなどに大胆な施策を期待したいところです。

Ref:

ガソリン代の節約−エコドライブ

・近くの安いガソリンスタンドを探そう!・・ガソリン価格比較サイト:一番安いガソリンスタンドはここ!

全国どこでも地図上で自分の住まいの近くの安いガソリンスタンドを検索できます。 会員登録をするとより詳しい検索ができます。 最近は為替変動も激しく、ガソリン価格も日々変動しているので、このサイトで近くのガソリンスタンドの最新価格をチェックしておくと便利。   


2007年12月17日

真空管アンプが団塊世代に人気

日経新聞12/15の土曜版NIKKEIプラス1の「値段ミステリー」に、 “真空管、なぜ今高い? 自由な音作り、中高年を魅了”と題した記事が載っていました。

過去の遺物とも言える「真空管」が何故か価格が上昇しているらしい。 オーディオマニアの間でも真空管アンプは人気で、真空管アンプの名器とされる「300B」を買い求める客が増えて、価格が高騰しているらしい。 初期の生産品だと、2本1組で20万円〜40万円もの値段がついているとのことです。

この「300B」とは1930年代に米WE社が開発した、劇場の音響装置などに用いた真空管が前身で、オーディオファンの中では垂涎の的ととも言うべき名球のようです。 ネット検索で「300Bアンプの製作記」を見つけたので興味のある方はご覧になってください。 

秋葉原の真空管専門店の話だと「引退して時間ができた団塊世代の関心が向かっている。 40代や30代の真空管を買っていくお客も最近みられるようになった。」との分析談が載っていました。

性能的には、真空管はトランジスタやICに敵わないはずだのに、真空管アンプには「トランジスタアンプにはない生々しさがある」とか、それは若い頃の西洋に憧れはじめた自身の文明開化と青春の生々しさなどと重なっているからかもしれない。

かくいう私も、中学・高校時代はラジオ少年・ハムマニアで、何台か真空管アンプを自作して、部屋に似合わない大きなステレオスピーカーを買ってきて、レコード盤で、ベンチャーズなどの洋物音楽を粋がって大きな音で鳴らしていたのを思い出しまた。

アルミシャーシーに万力パンチで真空管ソケット用の穴を何個も開け、トランス、スイッチ、コンデンサ、抵抗などの部品をジャンク屋(今のリサイクル屋)や秋葉原から取り寄せて、徹夜で作った思い出がよみがえりました。

確かに懐かしい。  中高年が真空管アンプに郷愁を感じるのも判る気がします。 

しかし、最近、ネットのオークションでも真空管アンプの取引が活発になっているらしい。昔作った真空管アンプを大事に残しておけば、今ならオークションなどで高値で売れたのに、残念!!

 


2007年03月09日

ゆかりの人の悲報

最近、私の「同期の友」と「元ボス」の逝去の報に相次いで接した。

今までは、母親の死や義父の葬儀に立ち会っては来たが、まだ、自分の年代の死については、現実感がなく遠い先のことと思っていた。 まして、自分にゆかりのある人の訃報に、親の死の時とは違う何とも言えない無常観と動揺を感じた。 お二人とも「ガン」で59歳と64歳という若さだった。  

のんびり屋の私だが、“「死」は決して遠くはなく、いつ近くに来て、いきなり顔を出すかもしれないのだ”と感じざるを得なかった。

・「同期の友」は、新入社員の寮仲間として親しくなった。 人好きで周囲を楽しくさせ、遊び上手・話し上手で人を引きつける魅力があった。 チャレンジ精神のある人間で、入社後暫くして、飽き足らなくなったのか、あっさりと外資系大手コンピューター会社に転職した。 その後、外資系IT会社を何社か経て、最後は外資系ソフト会社の社長として奮戦していた矢先だった。

まだ20代前半の独身のクリスマスの日、田舎出の私が3畳半のアパートでくすぶっていると、アパートの前に車を乗り付けて、部屋の戸をガラッと開けるなり、いきなり「これから教会のミサに行こう!」と言って連れて行かれた。 厳かなミサの帰りに「どう、教会のミサはいいだろう?」と得意気に私の顔を覗き込んだ彼の笑顔が忘れられない。

社交的で引き出しも多い人間だったが、仕事の現場での彼は知らない。 彼の口から仕事の悩みなど一度も聞いたことはなかった。 しかし、3年間もガンと苦闘していたのを、おくびにも出さなかった彼だから、あるいは、外資系社長としての重圧に仕事人間であり過ぎたのだろうか?

彼の葬儀もまた教会で執り行われた。 同期の仲間と一緒に葬送の歌を口ずさんでいると思わず涙が滲んできた。

・「元ボス」は、次期社長とも目されたエリートで、颯爽としてスマートでカリスマだった。 彼の率いた事業が大きく花開き、社内でも稼ぎ頭になるに従って、益々、組織も肥大化し、影響力・ワンマン性も増していった。 彼は、ある意味で人に惚れ込みやすく、かつ飽きやすかったのかもしれない。 社内外の多くの人材が彼によって登用され、新組織が作られ、かつ、時代の流れとともに使い捨てられていったような気がする。 私もその中の一人だったと思う。

しかし、ITバブルがはじけた頃より、その事業が稼ぎ頭から一転して苦境に陥った。 海外のビジネスも撤退せざるを得なくなり、国内でもリストラで工場売却や組織再編が頻発した。 組織は時代の流れに抗し難く、かつ変わっていかざるを得ないからリストラも止むを得ない。 「元ボス」はカリスマだったが故に弱さを見せられなかったのかもしれない。 その孤独な苦闘は並大抵ではなく、寿命を縮めてしまったのだろうか?

彼はよく会議の席で怒鳴ることが多かった。 決断する材料が欲しかったのか、彼流の想定結論にそぐわなかったのか、怒りが収まるまで顔を上げられなかった。 また、曖昧な報告だったりすると、直ぐに「あいつを呼んでこい」とか「電話を掛けて確認しろ」とか「1時間後に調べて持って来い」などと言われるのが常だった。  仕方なく、その場で電話をして、「相手が不在です」と言うと一旦収まることも多かった。 彼も嘘と分かっていながら矛を収めていたと思う。 

しかし、彼は優しいところもあった。 初めて海外出張にお供をした時、ホテルの部屋で寝酒に付き合えと呼んでくれ、別れ際に「眠れないだろう、この睡眠誘発剤は胃に優しいから飲め」と渡された。 そのような瑣末なことを思い出す。 また、エリートの彼が透明プラスチックの安物の赤ボールペンがお気に入りだった、そのアンマッチが妙に新鮮だった。 レポートに赤ボールペンでコメントや指示を書いて送り返してくるのが常だった。 流れるような、それでいて威張ったような字だったのを思い出す。

お二人とも、人を引き付ける魅力的な人物でした。  このような人ほど命を早く燃え尽きさせるのだろうか。 悲報に接し感じたことを書き留めておきたくなりました。 ご冥福をお祈りします。

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2007年02月14日

日本の問題が見えてくる「堺屋太一のビデオコラム」

前回、NHKの団塊世代の大量退職を取りあげた番組が、なんとも消化不良だったので『後味のよくないNHK番組「団塊・大量退職へ』と題して投稿しました。

 その時、“結局のところ、団塊世代/世代間格差、年金、医療・介護、経済縮小、など全ての問題が、「少子高齢化」、「人口減少」問題に行き着くのではないか?” という思いがしました。

私も日本の人口問題に、もっと関心を持たねばとの意識が芽生えた(!)ところに、たまたま、ネット検索で、先のNHKの番組のコメンテーターとしても出席されていた堺屋氏の『堺屋太一のビデオコラム』を見つけた。 

その中の、「vol.34: 少子化大国・日本 〜前編〜」、および「vol.35: 少子化大国・日本 〜後編〜」とそれに続く、「これからの就労形態 〜前編〜、〜後編〜」は、人口問題を具体的に複眼的に見る必要性が分かり、興味深い内容でした。

vol.35:で、“15世紀のイタリアは人口が4割減少したが、それが、ルネッサンス文化を花開かせた。 人口の減少により、生産性の高い場所への人の移動が起こり、都市型産業が発達し、1人当たり生産性の向上が収入増をもたらし、ルネッサンスが興った。  人口移動の自由、多様性、将来に対する自信、が持てるかがKeyである。”とのコメントが印象的である。

また、あの老大国のイギリスの出生率が1.8。 フランスは1.9、アメリカは2.0と両国は出生率は増加に転じているらしい。 そのようなことから考えると、「多様性」、「自由度」、「個性尊重」、「文化度」、が高い国は人口が増えていくいうこと。  一方で、規格大量型人材の終身雇用で成功してきた日本は、社会構造を変えざるを得ない大きな転換点にいるということを実感させられた。

その他にも興味深いコラムが多く、前掲のNHKの団塊世代番組が3時間も掛けた割りに、世代間のなじり合いばかりで中味が浅薄だったの比べて、この堺屋氏のビデオコラムの方が、余程「日本の、これから!」を考えさせられる良いコラムだと思う。

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2007年02月12日

後味のよくないNHK番組「団塊・大量退職へ」

月10日放送のNHKの、『日本の、これから「団塊・大量退職へ」』は実に後味がよくない番組だった。 同世代の知人達にも感想を聞いたが同様に評判が悪かった。

団塊世代と団塊以下・団塊ジュニア、団塊世代以上、の各世代が、NHKが用意した切り口と設問に対して議論をぶつけ合う形式だったが、世代間のいがみ合いや自己都合の議論だけが目立ち、「日本の、これから」につながるような議論にならなず、品がよくない番組になってしまった。

勿論、私が団塊世代であることを割り引いても、良質な番組が多いNHKにしては失敗作と思う。 意図不明の設問や問題提起ばかりで、いがみ合いを助長し、建設的な議論を封じ込めるだけだった。 

例えば、定年後に働き続けることへの賛否(若年層の雇用へのインパクト有無)、定年後の地方移住への賛否、年金問題にからみH27年には2人が1人の高齢者を支えることになるが年金制度を見直すべきか、など、馬鹿げた設問が多かった。 単純にYes/Noで割り切れるような簡単な社会問題ではないはず。 即答を求められたら世代間で答えが正反対になるのは分かりきっている設問だ。

また、NHKは出席したコメンテーターにどのような役割を求めたのか? なかでも、K教授、M準教授の浅薄な発言には失望した。 “団塊世代は政界や産業界のトップなっていない、大きな成果を残していない、また下の世代も育ててこなかった、だから今の世の中が悪くなった、定年後は地方に行き貢献することが罪滅ぼしになる・・・・”ようなニュアンスの発言には驚いた。 

このような人達がいわゆる知識人としてマスコミに頻繁に登場し、大学で若者を教えていることが不思議である。 (会社でも、声が大きくプレゼン上手な人や立ち回りのうまい人が、のし上がって行くのを見たが、そのうち、めっきは剥げ落ちていったことが多いが・・・・)

今の日本は確かに色々な問題を抱えてはいるが、全体としては、諸外国に比べ豊かなほうで、格差も比較的少なく、戦争もなく自由度も高い、決して悪い国になったとは思わない。 大きな時代の流れの中で、その時代が求める人材として、時代に乗っていかざるを得ないのが、どの世代においても生きていくためには必然ではないだろうか。

結局のところ、団塊世代/世代間格差、年金、医療・介護、経済縮小、など全ての問題が、「少子高齢化」問題に行き着くのではないでしょうか?  厚生大臣の失言をいつまでも政争にしている場合ではなく、本質的な対策を具体化するべきだと思う。

普段、私は、この種問題に発言をしない性質ですが、ブログ投稿したくなったのは、NHKのこの番組が余程、後味が悪かったためかもしれません。 こんな投稿をするのは気恥ずかしい感じもしますが、つい先日、同期の友人がガンで他界したことも誘因かもしれません。 あるいは、NHKの隠れた意図(論争を引き起こす??)にまんまとはまってしまったのか。

コメンテーターの1人だった谷村新司さんが困惑した様子で発言を控えていたのと、ある若い女性が、“私の父も団塊世代ですが、今まで忙しく働いてきたのだから第2の人生は好きなことをやって有意義に過ごしてもらいたい”と発言していたのに、少し救われた想いでした。

Ref1.増える75歳以上支える覚悟と仕組みは、超高齢化社会の衝撃度

Ref2.全国,年齢5歳階級別人口  →とかく、堺屋太一さんが命名した団塊世代(1947〜49年生まれ、59歳〜57歳、約800万人)の人口の多さだけが、浮き彫りになりますが、5歳刻みの人口(平成19年1月)では、55〜59歳が1,079万人(総人口の8.4%)、その前後の50〜54歳が834万人、60〜64歳が815万人と、その差は250万人前後です。 30〜34歳の団塊ジュニアが958万人。 団塊世代は総人口のわずか6.3%、55〜59歳は確かに多いですが総人口のわずか8.4%、前後の年代に比べて3割程度しか多くない、とも言えるわけで、この3年幅のいわゆる団塊世代だけに過剰に注目するのは妥当ではないかもしれません。

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2007年01月17日

12年前と60年前の出来事

12年前の今日(1月17日)、あの忌まわしい「阪神淡路大震災」が起きました。

私は当時、勤めていた会社の新潟工場に出向中で朝方のTVを見て、関西で大きな地震が起きたらしいが詳細が分からない。 神戸にあった姉妹工場が大丈夫か気にしながら出勤し、幸いにも神戸の姉妹工場は重篤な被害や人的被害もなく、ほっとしたこと。夕方のTVで高速道路がなぎ倒され、ビルや駅舎が倒壊している大惨事の映像にショックを受けたことを思い出しました。

12年前の1995年に他にどのような出来事があったのか、はっきりと思い出せない。 どんな年だったのか、知りたくなりWebで検索しました。

すると、各年の出来事が網羅されているサイトを見つけました。
「ザ・20世紀」 (個人で作られたサイトのようですが素晴らしい労作です。凄い!)

■1995年(平成7年)

1995年は、阪神淡路大震災以外にも「地下鉄サリン事件」が発生しています。 そうそう、野球の野茂投手がメジャーリーグで新人王の活躍をしています。 NHKの衛星放送で野茂投手の活躍をワクワクして見ていましたが早くも12年も経つのですね。

 私と係わりが深いパソコン関連では、Windows95搭載の新パソコンが発売され、それまでのDOS時代に終わりをつげ、日本のパソコン市場転換の年となり、現在につながるWindows時代、WINTEL寡占の時代が始まり、そしてインターネットが一般に普及を始めたのも、この1995年からです。

次に、私が生まれた60年前はどのような年だったのか?

■1947年(昭和22年)

60年前の1947年は戦後の民主日本の確立の基礎となった重要な出来事が多い年です。

・日本国憲法施行 ・教育基本法や労働基準法の制定
・キャスリン台風、関東・東北水害
・六三三四制スタート
・ヒット商品:自転車用補助エンジン ホンダA型
・たばこの「新生」、「光 」発売

・物価:封書1円20銭、はがき50銭(4月)、ビール:59円61銭(配給19円60銭)→まだ、配給制度が残っていた。  清酒1級 43円(2月)、119円(4月)、132円(8月) 、ピース(10本入)
30円(4月)、50円(11月)  →ハイパー・インフレが起きていたことが分かります。

このザ・20世紀のサイトには載っていませんが、現在の高度に発展した情報化社会、インターネットIT時代の原点でもある「半導体トランジスタ」がアメリカのベル研究所で誕生したのも、60年前の1947年です。この60年間の進歩は驚異的です。 

しかも、インターネット利用が普及し出したのは、わずか12年前の1995年に発売されたWindows 95により、WWWや電子メールが本格的に家庭で使われるようになってからですから、この12年間の進歩はさらに目を見張るものがあります。 このようなブログが誰でも簡単にできるとは有難い時代です。 次の12年後は科学技術がどこまで進歩しているのだろうか、予想もつかない。

Ref1:「トランジスタの誕生」のドラマを簡潔に紹介しているサイトです。 →“科学技術の分野で20世紀最大の事件との問いに、筆者は「トランジスタの誕生」と答えるという。”

Ref2.インターネットの歴史

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2007年01月03日

おみくじのはしご

新年おめでとうございます。 

年末年始は田舎に帰省してのんびり・まったりと過ごしています。 どうも夜更かしとなってしまうのは致し方ないところです。                  
随分とブログ投稿をさぼっていた。 「ブログ」という発信メディアの効用について、反応の少なさもあり一時の高揚が引いていったのと同時に他の分野に関心が移ったこともあるが、自分のブログ投稿の意味・スタンスについて自信や意義が見出せなくなっていたことが原因だった。

今年は気張らないで勝手に思いのまま・気ままに投稿することとします。 ということで、初詣のおみくじに感じたことです。

正月2日は雨予想だったので元旦早々に近くの神社への「初詣のはしご」を済ませました。 いつも「お札」を買い、「おみくじ」をひきます。


最初の神社で1回目のおみくじは竹の番号札が入った六角箱をガラガラと振るお馴染みのおみくじで「末吉」でした。 人間はどうも欲深い、「末吉」ではちょっと不満足でしたので2回目のおみくじを引こうかどうか迷っていたら、そこへ女子中学生らしい可愛い女の子が脇にある「英文おみくじ」を引いたのが目に留まった。

よし、私もと続き、英文おみくじを初めて引いた。 なせるかな「大吉」(英語ではExcellentだった):[思うこと思うがままになしとげて思うことなき家の内かな(Everything you want to do can be done well, No problem in your family.)] →Very Goodではないですか!
商売(Business)→上吉さわぐと損(All right,but be cool)
相場(Speculation)→待て動かせば損(Just wait,or you'll lose)
と出ました。

気分よくして、家に帰って新聞に載っていた「開運おみくじサイト」を思い出してそのサイトの「1年おみくじ」を引いてみると、なんと「凶」!、気分が悪いので、再度TRYするもまた「凶」、悔しいので何度かTRYしてやっと「中吉」を出した次第です。
→まさに、「さわぐと損、動かせば損」でした!? 欲深き自分を反省、やはり、おみくじは1回勝負に限るのです。

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2005年07月21日

不可解なディスカバリーの打ち上げ再開

閑話休題(7)
不可解なディスカバリーの打ち上げ再開
 

野口聡一さんらが搭乗するスペースシャトルのディスカバリーが13日に燃料センサー異常で打ち上げが延期されたが、本日(21日)のニュースで26日午前10時39分(日本時間同午後11時39分)に打ち上げるとの発表が流れた。13日の打ち上げ中止につながった燃料センサー異常の原因はまだ完全には特定できていないという

 

アメリカの威信をかけた超ビッグプロジェクトで、「原因が特定できていないままの打ち上げ再開」とは信じられないことである。

 

以下、ニュース記事の抜粋です。

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200507210006.html

 

“NASAのパーソンズ・スペースシャトル計画部長は、センサー異常の原因特定のために行ってきた検査プロセスがそろそろ終了するとして「原因として蓋然性の最も高いものは取り除いた」と説明。「一番いい方法は、秒読みを実際に行うことだ。こちらが予想するとおりにセンサーが機能すれば、26日に打ち上げる。何か不測の事態が起きれば、中止する」と述べた。”

 

CNNの19日のニュース記事の抜粋では、

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200507190017.html

 

“ディスカバリーは、13日の打ち上げ直前になって、外部の液体水素タンクのセンサーが誤作動。打ち上げが延期された。原因究明が進められているが、まだ解明には至っていない。

CNNが得た情報では、NASAでは現在、以下のような点について話し合いがされているという。

タンク関連部分のテストをする――外部の液体水素タンクに燃料を注入するなど打ち上げと同じ状態を作り出し、センサーなどが正常に動くかどうかをみる。NASAでは今春、2回にわたってこのテストを実施。1回目ではセンサーに異常が見つかったが2回目では正常だった。これを受け、NASAは外部タンクを交換。センサーの不具合は解決されたとしていた。これ以降、今回の打ち上げまでテストはしていなかった。“

 

→常々、アメリカのNASAや航空宇宙産業の超ビッグプロジェクトの大掛かりなプロジェクト管理能力にアメリカ人は長けているな、日本人には真似ができないな、大規模システムの組織マネジメントはさぞかし洗練されているのだろうな−−との思いがあっただけに、今回の報道の液体水素タンクの燃料センサー異常の顛末は信じられない稚拙なレベルであり非常に不可解に思える。

 

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2005年06月11日

オーバーヘッド費用とは何!?

閑話休題(4)
オーバーヘッド費用とは何!?
 

昨日のブログ記事「海外調達の損得勘定(2)」の中で「オーバーヘッド費用」という言葉を使っています。 「オーバーヘッド」とは、自分では昔から「あることをやるのに余分に掛かる無駄なもの」的な意味、認識でよく使ってきましたが、さて、正確にはどのような定義なのか!?、が気になりました。 

 

Web検索で「オーバーヘッド費用、用語」「オーバーヘッドコスト」などのキーワードで検索しても、数多くヒットしますがぴったりと得心するような説明やキチンとした定義が出てきません。 どうも色々な使われ方がされているようです。 また、何故「オーバーヘッド(頭の上)」なのか? 益々、気になりました。

 

以下に、Web検索結果から「オーバーヘッド費用」、「オーバーヘッド(頭の上)」の意味・理解に役立ちそうな部分を独断でピックアップしてみました。

 

1.大辞林(国語)

コンピューターで、ある処理をする際に間接的に必要となる処理、またそのために要する時間。

 

2.オーバーヘッド費用

販売される商品やサービスに直接、関わることのない、業務を行う上での間接費用。例えば、工場で働く人たちの賃金や製品材料費は直接費用。電気代、保険料、従業員の福利厚生費などはオーバーヘッド費用である。正しくはオーバーヘッド・エクスペンス(overhead expense)。

http://www.jericho-group.co.jp/dic_dbm/kana/o.html

  

元々、英語圏から入ってきた用語だから、英語のOverheadの意味を調べて見ると、 

3.overheadの英語の意味

http://www.answers.com/topic/overhead

 

1)[Dictionary]としての意味は?

 

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2005年06月08日

CRMとサポートセンター

BTO&SCM
CRMとサポートセンター
 

実は今、田舎に短期間の滞在中ですが、田舎でネット接続ができないトラブルに会い焦ってしまった顛末をご紹介します。

 

東京の我が家ではADSLブロードバンドの無線接続でインターネットに接続をしていますが、田舎に旅行するに当たり、田舎の家ではブロードバンド環境がなく電話回線のダイヤル接続のために、出発前に事前に東京で電話回線のダイヤル接続が上手くいくことを確認をしてから出かけました。

 

田舎に着く前に途中下車で京都に立ち寄りました。 京都の旅館で、さてブログに投稿しようとダイヤル・アップ接続を試みましたが、何回やってもビジー音となりうまく行きません。 いやな予感がしたまま、旅館の交換設備の問題かもしれないと勝手に決めつけて、その日は断念して枕に就きました。

 

翌日の夜に田舎に到着して、よしとばかりに再度ダイヤル・アップ接続をトライしましたが、いやな予感が当たりうまくいきません。 モデムの設定に「トーン」か「ダイヤル」かがありこれが電話回線のタイプと合っていないとうまく行かないので切り替えてやって見ましたが接続できません。 

確かにピーヒャララとダイヤル音はしているが途中でビジーになってしまいます。

これは田舎に滞在中はインターネットが使えないことになるのか?と焦りを覚えたまま睡魔に襲われて眠ってしまいました。 

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2005年05月18日

パソコン創世記と青空文庫

閑話休題(3)

 

青空文庫とパソコン創世記

 

このブログでパソコンの黒船や98開発ストーリーなどを書き込みしているので、パソコンの初期の歴史をキチンと理解しておこうと思い、富田倫生氏の「パソコン創世記」を改めて読みたいと思いました。

幸いなことに今でも、青空文庫から無料でダウンロードし読むことができます。

オンラインだと直ぐに読めて、自分が興味がある年や人物の記事が見つけやすい。

 

「パソコン創世記」はマイコンが産声をあげた70年代後半から、Windowsが出てきた90年頃までの前半の時代にパソコンの立ち上げに関わった先達の群像として熱く語られています。 

何よりも、作者の富田倫生氏のこの本への情熱が伝わってきます。

 

興味のある方はこちらから、「パソコン創世記」をダウンロードできます。(容量が少し大きいので注意してください)

 

それから、青空文庫は有志の無償奉仕で運営が継続されています。

パソコン創世記の他にも有名な作家の著作権が切れた文学作品を多数、無償でオンラインで読むことができます。 青空文庫ありがとう、頑張ってほしい。


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2005年05月15日

ハム世代、マイコン世代、自作PC世代、ロボコン世代?

閑話休題(2)

 

ハム世代、マイコン世代、自作PC世代、ロボコン世代?

 

ハム(アマチュア無線)や自作PCをやっておられる方も多いかもしれません。

 

私も60年代半ばの中学・高校時代にハムに熱中した世代です。小学5年生のときに鉱石ラジオを組み立てて、カタツムリのような小さなイヤホンからNHKの放送が微かに聞こえた時の何とも言えない嬉しさ、中学になりハムの免許を取り「CQ、CQ、こちらはJA5XXX」とコールサインを夜中に小声で何度もくりかえし、初めて海外のハム局と交信が出来たときの感激が懐かしく思い出されます。 

社会人になって上京してからはハムをやれる環境ではなくなり止めてしまい、すっかりご無沙汰していますが、また、やって見たい気もします。

 

70年代に中学・高校時代を過ごした世代の方は、TK−80などのマイコン・キットに熱中した方が多いと思います。80〜90年代の方はPC改造、自作PCマニアの方が多いようです。

 

WEBで検索してみると、このサイトで取り上げている98FELLOWなどの10年以上前のOLD機が中古でなんと2〜3万円の値段で売られています。OLDパソコンをパワーアップして使うPC改造マニアやDOSゲームマニアの方も結構多いようです。 PC98も昨年4月に発売停止となったため希少価値が出てきたのでしょうか。

 

ハム世代は真空管・トランジスタ、マイコン世代はIC・LSI、自作PC世代はCPU・マザーボードの世代とも言えますね。

現在(2000年代)の電機好き、機械好きの中学・高校生は何に熱中しているのでしょうか? ロボット、ロボコンでしょうか? ゲーム・ソフト作りでしょうか? 

 

ハム世代はCQ誌やトランジスタ技術の雑誌とにらめっこしながらアルミシャーシー、真空管、トランス、電解コンなどを買ってきて、手回しドリルでシャーシに穴をあけ、部品を取り付け、半田コテで線をつなぎ、組み立て、恐る恐る電源スイッチを入れる(煙が出た!こともよくあった)、使いこなしパワーアップするーーなどの「物作りの楽しみ」と「使う楽しみ」の両面がありました。

 

現在の高度に発展した時代は、何ごともブラックボックス化・モジュール化してしまって、モジュールをつなぎ合わせればできてしまい、時間をかけ苦労しながら物作りをするプロセスの楽しみを感じにくい時代になっているような気もします。

 

いずれにしても、小学生の頃の「ちょっとした感激」がその後の進む道を決めてしまうようです。 果たして良かったのか悪かったのかは判りませんが。


*Blogランキングへ参加しました、よろしくお願いします。コメントも歓迎です。

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2005年05月11日

閑話休題:ドッグイヤー Dog Year

ドッグイヤー Dog Year

 

IT業界の変化のスピードの速さは今までの変化の何倍にも相当することを表す比喩として、犬が年をとるスピードは人間の約7倍に相当することからドッグイヤー」 という言葉が、アメリカのITバブルフィーバーが始まった90年代後半によく使われました。

 

コンパック・ショックが起きた10数年前と現在を比べて見ると当時には予想もしていなかった新しいことが実現していることに改めて驚かされます。

 

     インターネットは一般には普及していなかった。 爆発的に普及しだしたのは90年代半ば以降。90年代前半はパソコン通信の時代でした、思えばパソコン通信も短い命だった。 会社では、まだまだ手書き文書が山のように回覧されていた。

 

     ケータイも急激に増えたのはここ5年程度、小・中学生までケータイを持つようになり、わずか100〜200gの小型ボディで、インターネット、デジカメ、TV、お財布もモブログもできてしまうとは!!  信じられない。

 

     先日も書きましたが、ネットで“1Click“をポンと押せば、日本全国どこでも1〜2日で玄関先まで届く。 ネットで注文したパソコンがカスタマイズ注文(メモリ増設とか、DVDドライブの選択だとか)付きで2〜3日で届く。10年前にはこんなSpeedは考えられなかった。

  インターネットの中では、ある意味で“電子スピード”だが、

  リアルの世界の「物作り」とか「物流」とかのSpeed 

  Upには、人間系も早さを要求される訳であり、その努力に

  頭が下がる思いがする。

 

私は一応、電気系技術者の成れの果てですから、逆に、「新しい」技術を実現することの難しさが感覚的に判ります。 

 ある「新しいこと」が実現すると、それを踏み台にした別の「新しいこと」が開ける(予期せぬことも含めて)。

この「新しいことの積み上げ」を繰り返すことで「すごく新しいこと」ができていく。 確かに、ドッグイヤーの時代はこの「積み上げ」サイクルがグローバル化してどんどん早くなっている実感がします。

 

しかし、こんなにも便利になり過ぎて良いのだろうか? 

人間の欲が人類を進歩させてきたという、更なる10年先はどのように変化しているのだろう?  20年後は?

空恐ろしくもある。 人間の寿命もドッグイヤーに近づいていかなければよいがーー。

 

 


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