PC98開発伝説

2005年06月27日

静かに去った98FELLOW

伝説の低価格機:98FELLOW(21)

静かに去った98FELLOW

95年1月に第三世代98FELLOWをリリースした後、95年7月に最後の98FELLOWとなるPC−9801BX4を発表しました。 このBX4は第三世代のBX3のCPUを486DX2/66Mにランクアップし、オプションだったWindowsグラフボードを標準搭載して、標準価格は9.8万円のまま据え置きとして実質値下げをした第三世代のマイナーチェンジ強化機でした。(添付のカタログ参照) 

最後の98FELLOW

95年はWindowsプリインストールのパソコンが主流となり、米国で大きなヒットをしたWindows95の日本での発売待ち、Windows95プリインストールのオールインワン・パソコンの発売待ちに耳目が集まる状況でした。

 

 この最後の98FELLOW(PC―9801BX4)は、DOSパソコンでありながら、Windowsへのシステムアップも容易でお買い得でしたが、やはりパワーユーザ向け、DOSの2台目ニーズが中心でした。 時代はパソコンの大衆化、初心者向けオールインワン・パソコンへと転換をしていました。

もはや、98FELLOWはそれほど大きな注目を集めることはありませんでした。

そして、この95年を最後に98FELLOWは3年間の足跡を残して静かに消えていくこととなりました。

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2005年06月26日

パソコン市場転換の年:1995年

伝説の低価格機:98FELLOW(20)

パソコン市場転換の年:1995年

 

第三世代98FELLOW(PC−9801BX3/BA3)は「低価格宣言。98FELLOW」と銘打ち、エントリー標準価格9.8万円で、95年1月に発表・出荷されました。 「国内大手のNECが遂に9万円台のパソコンを販売開始し、パソコンも遂に標準価格でも10万円を切る時代になった」と大きな話題になりました。 

売れ行きの伸びも95年前半は好調に推移しました。

 

しかしながら、それは結果的に消えゆく運命にあるDOSパソコンの最後の輝きにも似たものでした。

時代は「DOSからWINDOWSへ」の転換がはっきりとして、95年後半からはWindowsプリインストール・パソコンが主戦場となっていきました。

 

95年はWINDOWSパソコンが大きく花開いた年で、95年7月に米国でWindows95が発売され、4ヶ月遅れの95年11月には日本でもWindows95が大々的に発表されました。

 

Windows95はWindows3.1に比べて、分かりやすいGUIやマウスによる使い勝手の改善、32ビットプロテクトモード・カーネルによるマルチタスク化、ネットワーク時代を意識したTCP/IPなどネットワーク機能強化が行われたOSで、今につながるWindowsOS全盛の実質的な元祖となったバージョンでした。

 

このWindows95は発売前からマイクロソフトの大掛かりな宣伝や各メーカーとのタイアップ効果もあり、95年11月23日の深夜零時の秋葉原や大阪の日本橋の量販店での発売開始で長蛇の列ができ大きな盛り上がりを見せました。 マスコミでも社会現象として話題となったので、ご記憶の方も多いと思います。(私もこの時、秋葉原に駆り出されていてその時の喧騒を目の当りにしました。)

 

この1995年が次のような意味で日本のパソコン市場が大きく転換した年となりました。

 

Ref:Windowsの20年 - その足跡のすべて、そしてVistaへ

 

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2005年06月24日

第三世代98FELLOWの低価格設計

伝説の低価格機:98FELLOW(19)
 
第三世代98FELLOWの低価格設計
 

最後のDOSパソコンとしてトリを務めた第3世代98FELLOWの開発コンセプトは第一にエントリー価格9.8万円の値付けができる徹底した低価格設計、第二にDOSからWindowsへの流れが明瞭になって来ており、WINDOWSパソコンとしても十分に使用可能であること、第三に金科玉条の互換性・信頼性の維持、および、作りやすい設計 −−−−でした。

 

エントリー価格9.8万円のPC−9801BX3は、その前の第2世代のPC−9801BX2の標準価格が17.8万円でしたから、実に45%もの値下げとなる非常にハードルが高い価格設定でした。

 製品企画部門のこの目標価格提案に対して開発部隊から見ると、とても実現できそうにないことが判っていました。

一方で、「10万円を切った9万円台」ということでないと、宣伝文句的にも、他社競合上も市場インパクトが打ち出せないことも理解できました。

 

初代98FELLOWの「2ヶ月の超速開発」とは異なり、第三世代98FELLOWは「9.8万円の破壊価格の実現」を達成するべく、時間を掛けて施策を廻らしました。

 

この時の低価格設計のポイントとなった主な考え方を参考に紹介します。

コスト低減の基本は、

ヽ発に限らず製品企画や生産・調達まで「総合的に考える」

∪澤彜慙△「枯れた技術・部品」、「1ランクダウン」の設

 計・部品の採用 

E按譴靴「塵積も」 ――−です。当然ながら品質や互換性のレ

 ベルは落とさないのは大前提です。

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2005年06月22日

最後のDOSマシン=最安値PC−9801

伝説の低価格機98FELLOW(18)

最後のDOSマシン=最安値PC−9801

黒船コンパック」対抗の初代98FELLOWを超速開発し標準価格21.8万円で93年1月にリリース後、直ちに同じ年の11月に第2世代98FELLOW(PC−9801BX2)をマザーボードの海外生産などのコスト低減の努力をして17.8万円と値下げしました。 第3世代98FELLOW

さらに、インパクトのある価格でDOS/V勢との競合を勝ち抜くために、新たに標準価格で遂に10万円を切る破格値9.8万(店頭実売価格では7万円強)の第3世代98FELLOW(PC−9801BX3)の計画が浮上しました。

 

この第3世代機が「低価格宣言。98FELLOW」の謳い文句で95年1月に発売されました。(添付カタログ参照)

 

これが結果的に、PC98シリーズの中で、標準価格が10万円を切ったモデルはこれが最初(で最後)であり、また、数多あるPC−9801−XXシリーズの歴史の中で「9801」型番を付した、「DOSマシンの最後の機種」となりました。

つまり、一時代を画したPC−9801型番シリーズの「トリ」を務めた98FELLOWが皮肉にもPC98シリーズ中の最安値のパソコンとなりました。

 

第3世代98FELLOWの開発の顛末の前に、93年〜95年の主な出来事とパソコン関連のトピックスを参考にピックアップしておきます。

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2005年06月20日

初の海外生産:第2世代98FELLOW

パソコンの海外調達(7)
初の海外生産:第2世代98FELLOW
 

PC98シリーズとして初の海外(台湾)生産マザーボードを使用した第2世代98FELLOW(PC−9801BX2)は93年11月に発売されました。

このPC−9801BX2の標準価格は17.8万円で、CPUを486SX/25Mとランクアップさせて、初代98FELLOWよりも4万円安い価格設定でした。

 

以前に述べたように、国内と台湾の併用生産で、出荷当初は国内生産100%でスタート(作り溜めや所要変動へのダイナミックな対応が必要なため)して、安定需要期に入った94年1月頃から、台湾製マザーボードを国内製とMIXして、ライフ総量では全体の約3割を台湾製マザーボードを使用する計画でした。

 

しかしながら、最初の1ヶ月は台湾製マザーボードの実力が判明するまでは、投入量を1割〜1.5割に意図的に抑制しました。(その時は、PC98シリーズとして初の海外生産マザーボードであり、「低コストAND国内製と同等の品質」が命題であり、慎重の上に慎重を期したからです。)

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2005年06月18日

設計の海外移管のやり方

パソコンの海外生産(6)

設計の海外移管のやり方

 

第2世代の98FELLOWの海外調達を台湾ODMの「E社」に委託することが決定して、日本設計の98FELLOWのマザーボードの設計を台湾にトランファーする現地化作業が具体的に始まりました。

 

海外調達の最大の目的は勿論、原価低減です。 日本で設計したマザーボードをどのようなやり方で台湾ODMへ移し、現地化設計&生産を立ち上げたのか、その基本的な考え方をご紹介します。

 

海外からのODM(設計込みの生産委託・調達)の委託レベルとして次のような3段階があると考えれられます。

 

<レベル1>デザイン・コンサイン(完全設計委託)方式

基本仕様書を渡し、それ以降の回路設計・プリント基板設計、部品選定、評価などの実設計と検査、生産を全てODM側に任せる。

 

<レベル2>モディファイ(部分修正設計)委託方式

回路設計と部品選定までは日本サイドで実施し、海外現地(この場合は台湾)で安い部品へ切り替えや、回路変更含めてVE設計を行う「モディファイ(一部修正)設計」以降を任せる。

 

<レベル3>デッド・コピー(丸写し)委託方式

日本サイドの回路設計、選定部品をそのまま変えることなく、デッドコピーして、海外で組立生産する。

 

98FELLOWの場合は、前記の<レベル2>の方式としました。その理由は次のとおりです。

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2005年06月16日

日本語の壁(2):パソコンと自動車

閑話休題(6)
日本語の壁(2):パソコンと自動車
 

パソコンと自動車とのビジネス特性の比較に関連して、「日本語の壁」の影響度の差が気になりました。

日本のパソコン企業で世界市場で大きなシェアを獲り成功している企業はどこもありません。 日本のパソコン企業も、結構早い時期の1980年代後半から北米市場などを始め世界市場に進出しましたが、一時的にはある程度の市場を取りましたが、結果的には撤退や縮小しをて失敗に終わっています。

 

一方で、日本の自動車産業は、先日のトヨタの「1兆円利益」報道に象徴されるように、ホンダ、日産も含めて、世界市場でかなりの成功を収めています。

 

この差はどうしてなのか?  日本の自動車産業は「トヨタのカンバン方式」が、その強さの理由として、よく喧伝されますが、「カンバン方式」による生産力の強さだけで片付けるのはいかにも単純であり、それだけではない「自動車の商品特性」など、色々な背景があると思います。

 

日本のパソコン企業が何故、世界規模ではシェアを獲れなかったかの理由を挙げ、自動車の商品特性との比較から考えて見ました。

 

1)パソコンは言語を処理するツールであること

‘本国内では、「日本語処理の壁」に守られて国民機と言われたPC98アーキテクチャーは海外ベンダーの侵入を阻んだ。(参考:パソコンの黒船) (Windowsの出現によりこの壁ももろくも崩れてしまったのはご存知のとおりです。)

一方で、日本企業が世界市場に出て行くには「多言語の壁が  大きかった。

日本語文化圏とは異なる海外市場での“言語処理ツールである”パソコンのビジネス競争にはどうしても言語や文化のハンディがつきまとうこと。

 

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2005年06月15日

日本語の壁(1)

閑話休題(5)
日本語の壁(1)
 

98FELLOWの海外調達サーベイで台湾・香港のODMを数多く訪問しましたが、台湾ODMとの打ち合わせでは、日本語インタフェースでも可能なところが多く、英語があまり得意ではないエンジニアが多い日本メーカーにとっては好都合ではあります。

 

台湾ベンダーも日本人が英語に強くない弱点を心得ており、日本とのビジネスを拡大するためにも、日本語が話せる台湾人スタッフを営業に置いている会社が多いからです。

(最近は、中国のIT企業にも日本人の大学留学生を雇っている例が多くなったようです。)

 

一方、欧米人とのビジネスを経験した方はご存知でしょうが、アメリカ出張時など彼らと打ち合わせする時は、当然の如く、英語でなければなりません。

例え、相手がアメリカの子会社の人間であっても、打ち合わせ場所が日本であっても、当然の如く早口の英語でまくし立ててくる相手とやりあわねばなりません。 なおかつ、電話会議の時などは、相手のワーキング・タイムに日本側が合わせてやり、早朝や夜の時間に会社に居なければなりません。

 

 従って、相当なエネルギーを消費し疲れることとなります。 自分の英語力が不十分である点は否めませんが、私などよりもよほど英語力が高く海外駐在が何年もある人でも、やはり、英語を母国語にしているディベート好きのアメリカ人と意見を戦わし、相手を論破し納得させるというのは相当に難しいようです。

アメリカ人との打ち合わせでは、「こん畜生! 日本語並みにべらべら喋れたらと臍をかんだ」ことも何度もありました。(一般のサラリーマンは同じような経験があると思います、帰国子女の方は別でしょうが)

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2005年06月07日

更なる低価格化を目指して

パソコンの海外調達
更なる低価格化を目指して
 

93年1月の初代98FELLOW、98MATEによる黒船パソコンの撃退は一旦は成功裡に終わりました。 しかしながら、この93年1月を契機にパソコンは大競争時代の幕開けとなり、その後もコンパック、IBM、DELLなどの海外大手のDOS/V勢や富士通、エプソン、東芝などの日本勢との戦いが徐々に熾烈となっていきました。

 

パソコンの価格戦争はさらに強まり、パソコンの新製品は機能・性能は大幅にUPしつつ価格は大きく下がって行くというコストパフォーマンスが飛躍的に伸びる時代となっていきました。

 

初代98FELLOWの出荷を達成した後、引き続き後継機として2代目98FELLOWの開発が始まっており、更なる低価格化の切り札が求められていました。 

そこで、当時、欧米のパソコン大手向けのOEM生産でパソコン産業が成長しつつあった台湾からの海外調達に初めて踏み切ることとなりました。

 

93年当時は日本のパソコンメーカー大手は、部品レベルでは台湾からの調達を勿論していましたが、国内開発&国内生産が当たり前で、パソコン本体やマザーボードの海外生産・調達はどこも本格的には行っていませんでした。 ましてや台湾への設計込みの生産委託(ODMはまったく未知の世界でした。

 

台湾のパソコン産業が急成長をして、世界のパソコン工場と言われだしたのは90年代の後半からです。 台湾パソコン産業は90〜92年の北米市場の不況による苦境や、コンパック・ショックなどアメリカのパソコン大手の低価格路線への転換により、自社ブランドによる欧米市場ビジネスの地盤を失いつつありました

 

93年頃の台湾パソコン産業は戦略を転換して、自社ブランドを諦め、欧米の大手PCブランド向けのOEM、ODMビジネスに特化をすることにより奏功しつつあり、その後の95年以降の爆発的な成長をする前夜という状況でした。

(参考資料:台湾パーソナル・コンピュータ産業の成長要因(著者:川上桃子氏、byJETRO))

 

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2005年06月04日

黒船パソコンを撃退す!

伝説の低価格機:98FELLOW(17)

黒船パソコンを撃退す!

93年1月17日に98FELLOWはいよいよ発表・販売開始の運びとなりました。

98FELLOWシリーズは上位シリーズのWindows対応の最新スペックを満載した98MATEシリーズとともに大々的な宣伝が行われました。 DOS/V機との対抗を意識したCMの「速さは力」(98MATEは当時の最新・最高速のi486DX2-66」を採用しWindows対応のVGA256色グラフ搭載、かつ、DOS画面のスクロールはハード・サポートの98アーキテクチャの方が断然に早かった)のキャッチフレーズが新聞やTVに流されました。 

98MATEシリーズのカタログ

新製品は発売の数週間前から、主要な量販販売店に新製品情報がリークされて販売店側の評判・感触や仕入れ見込み数などの情報が入ってきます。

92年10月から日本上陸した黒船パソコン(コンパックProLineaなど)は93年の1月時点までは販売実数としてはそれほど大きくはなく、取り扱っている販売店の数もまだ限定的で実質的なインパクトはまだ少なかったのですが、何といってもマスコミで「コンパック・ショック、日の丸パソコンの危機」と大々的に報道され、一般にPC98への実体以上にマイナスイメージが広がり出していました。

そのような状況でNEC営業部隊やPC98をメインに扱っている量販販売店にとっても、PC98は遅れている・割高というイメージを払拭できる「破格の低価格DOSモデル:98FELLOWシリーズ、DOS/V機を凌駕する最新スペックのWindowsモデル:98MATEシリーズは売れる弾として大好評で迎えられ、新製品の認知度・関心も高く、販売の滑り出しは絶好調となっていきました。

 

発売開始後の93年1月〜3月の3ヶ月間の販売台数は併せて37万台の出荷を達成しました。

ちなみに、92年のNECのパソコン販売台数は117万台、93年の販売台数は132万台と大幅な伸びを見せました。

 

このようにして、黒船パソコンとの第1次対決はその日本市場への侵入を最小限に食い止めて大成功に終わりました。 

98FELLOWの開発プロジェクト・メンバーや生産部隊もそのミッションを達成し大きな喜びと安堵感を感じていました。

 

しかし、後から考えるとこの「93年1月が日本のパソコン市場が実質的に開国して、それからの長い大競争時代の幕開けとなった重要な転換点」でした。

 

それは、この93年1月をきっかけにして、低価格化の流れがさらに加速、Windowsの出現によるソフト的に漢字障壁を乗り越えてPC98アーキテクチャーの強みが徐々に消失、第2の黒船とも言えるDELLが93年1月に日本市場に新たなビジネスモデルの「直販ビジネス」で参入、Gatewayの日本上陸など多くの内外PCメーカーが新規参入、その後のWindows95によるDOS時代の終焉、WINTELの寡占化の始まり、などの大きな転換が始まったからです。

 

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2005年06月03日

いよいよ工場出荷開始!

伝説の低価格機:98FELLOW(16)
いよいよ工場出荷開始!
 初代98FELLOW:9801BX

98FELLOWの開発プロジェクトは黒船パソコン迎撃のミッションを受け、92年10月末から12月末までの超速開発2ヶ月間を熱気に浮かされたように一気呵成に走り続けました。 

師走も押し迫りクリスマスのジングル・ベルが華やかに流れていた頃に、ギリギリで量産移管判定会議に間に合わせて何とか「量産移管GO!」となりました。

 

量産移管判定会議とは、前記の互換性評価結果レポートや開発部の各種評価レポート、生産部隊の生産性評価レポート、特別検査結果、VCCIやノイズ、温度耐力試験などの環境評価レポート、意地悪テスト(意図的に異常な操作の組み合わせをやる)、安全性評価などの各種レポートを元に、信頼性品質管理部が第3者的立場で量産移管Go/NoGoの審査をする大きな関門でした。

この判定会議には未解決の技術問題はZeroにしておくことが合格の前提条件です。

 

従って、判定会議の前の10日間は徹夜作業の連続となって、多くのメンバーが実験室で朝焼けを眺めてから、ひと時の仮眠に帰る毎日の繰り返しでした。 前日なってソフト部隊から互換性評価での新たな間欠障害の申告を受けて焦ったものですが、それも優秀なメンバーが短時間で片付けてくれてほっとした記憶があります。

 

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2005年06月02日

開発管理のノウハウ(3)

伝説の低価格機:98FELLOW(15)

開発管理のノウハウ(3)

 

3.外部の力を最大限利用し一気呵成にやる

 

PC98シリーズは「互換性維持」が金科玉条であり、その互換性評価のために1ヶ月以上の期間を費やし多大な工数を投入していました。 しかしながら、この互換性評価の仕組みは新製品の完成度・信頼度を上げる重要な関所となっており、国民機と言われたPC98シリーズの強みとなっていた組織能力の1つでした。

 

互換性評価は外部の3rdパーティの主要なソフトハウス(ISV:Important Soft Vendor)と拡張ハードベンダー(IHV:Important Hardware Vendor)の数10社には、量産相当の量産先行機(PP機:Pre Production)を配り、ISV&IHV側にも互換評価を依頼していました。 当然、社内でもソフト開発部門、SI(システム・インテグレーション)評価部門、および我々の装置開発部門(ハード主体)でも分散して実施していました。 

ところが、98FELLOWの開発リードタイムは2ヶ月という超短期間であり、互換性評価に1ヶ月も掛けている余裕はありませんでした。

98FELLOWはDOSがメインのOSでしたが、それ以外にも、UNIX−OSでの互換性や拡張グラフを搭載したWindowsマシンとして互換性確認も必要でした。

 

そこでリードタイム短縮のために採った手法は次のようなものでした。考え方は「フロント・フォーカス(後工程の前倒し)」と「3rdパーティも巻き込んだ短期集中」でした。

 

1.「味見」を早くやる

元来、互換性評価は後工程の量産直前の「量産先行機」でソフト部門、互換評価部門に依頼するルールとなっていましたが、そんなルールに拘っていては出荷日程がキープできません。 量産先行機の前段階のバラック評価機(正式なシャーシではなく手作り板金でバラック的に作った評価機)をソフト部門などにも余分に配り、互換性評価を全項目ではなく、基本項目のみ「味見」評価を先行し、正式評価も後から実施する「2段構えの互換性評価」とする提案をして何とか受け入れてもらえました。

この結果、早い段階で問題を発見して設計変更にフィードバックすることができました。

 

2.外部を上手く巻き込む

ソフトハウス、ハードベンダーに集中互換評価フロアを提供し外部の互換評価を迅速に終わらせる策をとりました。

 

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2005年06月01日

開発管理のノウハウ(2)

伝説の低価格機:98FELLOW(14)

開発管理のノウハウ(2)

2.フロント・プロセスを最重視する

「開発プロセスとは不確実なものを確実にしていくプロセス」と言われます。不確実な要素を早い段階で確実にしてゆくためには開発のフロント・プロセスへの取り組みが重要です。

開発プロジェクトの成否は開発のフロント・プロセス(前工程:仕様FIX、開発リスク分析、開発線表作成、設計&デザインレビュー、試作機評価ーーなどの開発の前段プロセス)を重視して、如何に練った開発計画を作成できるかによって8割方は決まってしまいます。(フロント・フォーカス重視)

図4:フロント・フォーカスの重要性

 図4はフロント・プロセスのマネジメントに失敗して、技術問題を完全に解決できないで積み残したまま後工程に移行して、結果として後工程で問題が多発し、その対策に多大の対策工数を費やした失敗プロジェクトのイメージ例です。

黒線は計画した投入工数ですが、実績は赤線の投入工数となり後工程で大幅な追加工数を投入せざるを得なくなっています。 そうなった原因は次のようなことが考えられます。

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2005年05月31日

開発管理のノウハウ(1)

伝説の低価格機:98FELLOW(13)
開発管理のノウハウ(1)
 

開発部の体制を前述のマトリックス・コンカレント体制に変更して各機能チームが同時並行的に動ける枠組みは作りました。 しかし、この枠組みが上手く機能するためには実オペレーション、開発進捗管理のやり方、つまり「仏に魂を入れる」ことが大切です。 それには製品特性や各々の組織に合った効率的な進捗管理方法を見出すことが必要です。 それが、外には見えてこない一般論として「文章化することが難しい各企業固有のノウハウ」となってきます。

 

98FELLOWの超速開発で採った進捗管理で有効だったのは次のようなやり方でした。

 

1.デイリー進捗会議

 1日1時間の短時間に限定して各開発機能チームリーダー全員が参加し、未解決問題とその調査報告を行い、全員で方向性が正しいか、次の攻め方を即断し誰が何をやるかを指示するフェース・ツー・フェースの打ち合わせです。

  新製品評価では色々な予期できない問題が次々と発生します。それを如何に早く間違いなく片付けるかが日程キープのポイントです。 また、変更・修正に伴う手配変更指示などの外部への整合された情報発信体ともなります。

 

  ヾ峽臂祿欧魯灰鵐レントに加速的に調査する

  とくに厄介なのが、数日間ランニングさせておいても1〜2回しか問題現象が出てこない「発生頻度の少ない間欠障害」です。

  1日に1回出るか出ないかの間欠障害ですから、調査も2つ3つの案を並行して実験することと、特に間欠障害は評価台数を一気に増やして障害発生頻度を高める(評価を加速させる手法)を採るなどして、どの方向が真の原因に早くヒットするかをコンカレントにどんどんPDCAを短時間で回す必要があります。

  

  各チームの進捗を同期化させるための手を打つ

  装置まとめチームは各開発チームの進捗の良し悪しを把握して日程の微調整や応援リソースなどの手当てをデイリーでダイナミックに行う。

  また、各チームは全体の動き、他のチームの情報把握をしながら、自律的に自分のチームが次にやるべきことの判断を早くつけることができます。

 

  5蚕兌圓泙せにしないで問題を早く「まな板」に乗せる

   往々にして難しい問題の解決は担当の技術者のスキルやセンスにより左右される面が大きく、技術者が判断を間違ったり迷路に入り込んだりすると多くの時間を浪費してプロジェクト全体の日程に大きな影響を与えます。

  そのためにデイリー進捗会議で、各チームが抱えている問題をオープンにして(まな板に乗せて)他人の目を入れて揉むことや、色々な実験をコンカレントにやる手を打つことが大切です。

 

    生産・資材部隊が早く動けるようにする

   デイリー進捗会議で出た変更情報(変更がありそう情報も)をとにかく「生情報」で良いから流して、手配中止/追加や改造準備などを生産・資材部隊が早く自律的に動けるようにすることが、日程を早めることや無駄なロス費用を発生させないために重要です。

 

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2005年05月29日

マトリックス・コンカレント開発組織

伝説の低価格機:98FELLOW(12)

マトリックス・コンカレント開発組織

 

PC98シリーズは93年以降にDOS/Vパソコンとの競合激化、Windowsの浸透、低価格化の進行、ノートPCの立ち上がり、機種の多様化、などによりパソコン需要が大きく拡大し、それを受けて新製品も年間20機種以上をリリースする「多機種フルラインアップ時代」に突入しました。

 

先にも書きましたが、当時の主力開発・生産拠点の1つであったNEC新潟のPC開発部(第1技術部)でも年間5、6機種の新製品を矢継ぎ早やに開発してリリースする必要に迫られました。

 図3:マトリックス・コンカレント開発体制

限られた開発人員で新製品をコンカレントに開発し、かつ納期を厳守できる効率的な開発体制を構築する必要があります。

98FELLOWの超速開発が始まる92年当時の開発人員は約90人でパソコン開発に必要な自己完結できる開発ファンクションをほぼ自前で持っていました。

 

新製品の開発リードタイムは新世代機など新規性が高いモデルは10ヶ月前後、後継機など強化モデルは半年前後のリードタイムが掛かっていました。 従って、年間5機種の新製品をリリースするためには、同時に3、4機種の開発をコンカレントに走らせる能力が必要です。 加えて、出荷済みの製品についても問い合わせ対応、障害調査や原価低減のVE設計などのメンテナンス業務も必要でした。

 

そこで、採った開発組織は図3のマトリックス・コンカレント開発体制です。

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2005年05月28日

コンパック・ショックは台湾の救い神

パソコンの黒船(5)
コンパックショックは台湾の救い神
 

コンパックが92年10月にパソコンの黒船として、日本市場獲得に乗り出さざるを得なかった裏の事情(コンパック自身が米国で台湾PCメーカーや直販PCメーカーの低価格ショックを受けて薄利多売路線に転換した)を前回に書きましたが、ではそのときの台湾PC業界にコンパックショックはどのような影響を与えたのか、1つの逸話をご紹介します。

 

コンパックが低価格路線に180度路線変更をする以前は、台湾系PCメーカーは米国市場で、IBMやコンパックなどの大手PCメーカーに対して、低価格を武器に新規参入をしてシャアを徐々に伸ばしつつありました。 そうしたなかで、92年半ばにコンパックが一転して、低価格路線へ変更とのニュースにより台湾業界は米国市場から追い出されるのではないかと震え上がりました。

’92/6/15コンパックショックbyTCA)を参照。

 

コンパックは低価格路線へ変更して早くも94年にはIBMを抜いてシェアトップ、世界一のパソコンメーカーとなり、業績も回復しました。 しかしながら、上記の記事にもあるように、低価格かつ大量生産を維持するためには台湾PCメーカーに生産委託をせざるを得なくなり、結果的に見れば米国における空洞化のさきがけとなってしまったということです。

米国市場で息の根を止められることを心配していた台湾PC業界だが、逆にコンパック、IBM、デル、HPなど米国大手のOEM工場として急成長し、その後、日本やヨーロッパのPCメーカーからのOEMでも大繁盛し「台湾は世界のパソコン工場」と言われたのをご存知の方も多いと思います。

 

引き続く近年の世界のパソコン業界大手の変遷は耳新しいと思います。

コンパックは98年にDECを買収しサーバー事業への拡大する勢いを見せ、DELLなどの直販モデルと対抗するためにディーラールートの注文生産方式(BTO)などへの取り組みも試みたが、2002年には下位だった業界3位のHPに買収されて、コンパックの名前は消えることとなってしまった。 世界のパソコン工場は台湾から中国へシフトし、04年12月にパソコンの元祖であるIBMが中国の Lenovo Group Limited (聯想集団有限公司)にパソコン事業を丸ごと売却してしまったのは、パソコン業界の変遷の激しさを示す象徴的な出来事でした。

 

日本のパソコン市場では、92年の黒船パソコン以来、多くの強力な海外大手メーカーが日本市場に参入して激しい競争が行われてきたが、依然としてシャア上位5社中4社は国産勢(シャア順位はNEC、富士通、DELL、東芝、ソニーの順、2004年度)で占めており、そういう意味では日本勢は市場を明け渡すことなく、黒船パソコンを食い止めているとも言えます。

その理由は単に「地元の利」以上の何か、例えば、日本人好みのきめ細かさ、サポートの良さ(分かりやすいマニュアル、サポートセンター)、作りや品質の良さなどへの相対的安心感などが背景にあるような気がします。

 

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2005年05月23日

コストの壁を破るノウハウ(2)

 伝説の低価格機:98FELLOW(11)
 コストの壁を破るノウハウ(2)

 

コスト低減の王道は「設計のみならず総合的に考えて、早い段階で打てる手を徹底して実行する」ことです。 98FELLOWの開発を通してどのような考え方が役に立ったかをご紹介します。(結果的に後から判ったこともあります)

 

1.製品コンセプト・仕様を早く明快にする

98FELLOWは「黒船パソコン対抗」&「低価格最優先」&「DOS専用機」(上位の98MATEと棲み分け)の製品コンセプトがクリアで早い段階でFIXしました。

  従って、98シリーズの金科玉条だった「過去機種との互換性維持」も98FELLOWの製品コンセプトと照らして、影響が少ない互換性は切り捨てる決断ができコスト低減につながりました。 次のような項目です。

   ・HDDはファイルスロット形式(SCSI方式)を止め、主流となりつつあり廉価な作りができるIDE方式を採用

   ・ビジネス用途ではFM音源をあまり使わないため、BEEP音のみとした。

   ・外部接続の拡張FDDインターフェイスをオプション化

・拡張ボードスロット4スロット→3スロットに削減(98MATEの下位シリーズのため)

    しかし、Windowsグラフ・アクセラレータやFM音源ボ−ドなどのアップグレード・パスを提供、CPUは黒船パソコンの上を行く486SX/20を採用するなど、ユーザーに受け入れられる手も打っていました。

 

    また、当然ながら、上位の新シリーズ98MATEとの部品共通化を図り、部品の大量調達により安く調達することも設計条件としました。

 

2.フロントプロセス・フォーカス

  設計や評価のフロントプロセスに集中してリソースを掛けて完全にバグ出しをしてしまうこと、量産移管時点ではお金の掛かる改造・変更は絶対に出さないことです。

  これは当たり前のことですが、短納期であり完璧にやることはなかなかに難しいのです。 往々にして潜在問題を残したまま、量産工程に入った後で問題が顕在化し、生産ストップ&特急改造や部品変更による大きな損失が起こり得ます。

図2:パソコンのライフサイクル 

  特に、パソコンの市場特性から発表・出荷開始日までに、数万台規模の作り溜めをします。 98FELLOWの時は出荷開始日までに5万台の作り溜めが必要でした。 さらに、パソコンのライフサイクルは5ヶ月から6ヶ月で、なおかつ、最初の3ヶ月でライフ総量の80%も占めています。(図2:パソコンのライフサイクル を参照、クリックをして拡大)

  従って、量産移管時点に如何に設計品質が上がっているか、作りやすく生産品質が高くなっているかが、コスト低減に重要なのです。

 

  10万円で売るパソコンに1台当たり数千円も改造や追加部品・変更などの損失費用(オーバヘッド・コスト)が掛かったのでは利益は出せません。

 

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2005年05月22日

コストの壁を破るノウハウ(1)

伝説の低価格機:98FELLOW(10)

コストの壁をやぶるノウハウ(1)

 

先に書きましたように、98FELLOWは前機種のPC−9801FAの半値の標準価格が目標です。 超短納期の壁に加えて、もう1つの壁は利益が出せるコスト企画が果たしてできるかということです。

結論からいうと、大枠のコスト削減方針を決めて見切り発車をした、結果は後から何とかなったということでしょうか。 とにかく時間がなかったのです。

しかしながら、98FELLOWの開発を通じてコスト削減の考え方についても大きな示唆を得ることになりました。

 

よくコスト削減の事例で、「乾いた雑巾をさらに絞る」とかの精神論や「LSI化して部品削減とか」とかの部分集積論、「コストは設計の良し悪しで決まる」とかの設計責任論、「中国生産でコスト大幅削減」とかの中国一辺倒論、を見聞きしますが全て「部分論に終始」している気がします。  コスト企画は表には見えにくいものですが、総合的な方法論(組織横断のコストのベストプラクティス能力とでも言うべきもの)として捉える必要があります。 

というのは、

 

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2005年05月21日

Bottle-Neck(びんの首)

伝説の低価格機:98FELLOW(9)

Bottle-Neck(びんの首)

 

ボトルネック(Bottle-Neck)を辞書で引くと[びんの首、狭い通路、仕事の進行などで障害となるもの、隘路]とあります。 また、IT情報用語辞典では、「生産工程の中にはボトルネックとなる工程があり、それが全体のスループット(生産量)を決定する。最適生産のためには工程全体のスケジュールをボトルネック工程の能力に合わせる必要があり、生産性向上のためにはボトルネック工程を重点的に改善すべきだ」という生産管理・改善の制約理論(TOC)のキーワードとなっています。

 開発のプロセスでもボトルネック工程があり、他の設計プロセスと並行できず期間が長いため、全体の開発リードタイムの最短長を決定してしまう要素があります。

 

パソコン開発の場合のボトルネック工程の大物は.泪供璽棔璽匹プリント基板(回路配線基板)と■丕奪院璽垢旅渋と超發肇侫蹈鵐肇泪好などモールドの金型の設計製造リードタイムです。 ,離泪供璽棔璽匹蓮∪澤廚烹吋月、製造に2W、△龍盞燭1TRY品が1.5ヶ月、そこから修正を織り込んだ2次Try品を経て、最終金型の3次品まで1ヶ月、合わせて2.5ヶ月が標準的なリードタイムでした。

これでは、98FELLOWの目標開発期間:2ヵ月には全く当てはめることはできません。 

このボトルネック設計工程も何としてでも短縮させるしかありません。

編み出した手は次のようなものでした。

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2005年05月20日

納期の壁を破る

伝説の低価格機:98FELLOW(8)

納期の壁を破る 

                                 

図1:98FELLOWの開発リードタイム

9210月末に「98FELLOW疾風開発プロジェクト」を立ち上げ、全員がミッションを共有してベクトルを合わせる「キック・オフ会議」を済ませると、NEC新潟工場は急に熱気を帯びてきました。

 

まず、最大の壁は開発リードタイム2ヶ月の壁です。 図1に当時の標準の開発線表と98FELLOWで設定した開発線表の比較を示します。(図1をクリックすると拡大します)

 

スタート(S)から1.5Wで回路設計完(D)、5Wで量産先行機組み立て完(PP)、そこから各種評価や互換評価をして9W目に量産製造の移管可否を判定(MP1)し、5万台の作り溜めを行い11W目に量販店向け先行出荷、12W目に発表・出荷開始(MPF、93.1.17)という、標準の開発リードタイムに比べ半分以下の無謀とも思える開発線表で突っ走るしかありませんでした。

 

窮すれば通ずるの例え、そこで打った手は次のようなものでした。


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2005年05月18日

超コンカレント開発のマジック

伝説の低価格機:98FELLOW(7)

 超コンカレント開発のマジック

 

コンカレント開発とは一連の開発プロセス間を直列ではなく、並列に走らせ、同時進行させて開発期間(開発リードタイム)を短縮する手法のことです。

このコンカレント化の範囲は、開発部内の各チームの同時並行(例えばマザーボード設計と構造設計の並行化)設計は当然ですが、生産管理・生産技術部隊と資材調達部隊とのコンカレント化も非常に重要なポイントでした。

 

何故ならば、月に10万台以上を一気に生産する生産ラインの構築や検査設備の準備に時間が必要なことや、何よりも大量の部品の調達が間に合わなければ、物は作れないからです。

 

98FELLOWの超速2ヶ月開発を実現するために採った主なコンカレント施策は次のようなものでした。

 


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2005年05月17日

超コンカレント開発

伝説の低価格機:98FELLOW(6)
 超コンカレント開発

 

よく開発線表は「右から左に引け」とOBに言われました。 即ち、右側の出荷開始日は動かすな、遅らせるな、左側に向かって前プロセスの開発工程をキチンと計画し、考え漏れのない練った開発線表を作れーーーという意味あいです。

しかし、98FELLOWの場合、931月中旬に出荷するためには、実質の開発期間は2ヶ月しかありません。 練った計画を作る以前の問題で、如何に2ヶ月でやってしまえるか? ある意味では如何に手抜きをして設計品質を落とさずにできるか?を考え抜きました。

 

新製品1モデル当たり、標準の開発期間は5ヶ月で20人前後(ハード開発のみ)の技術者を掛けていましたから、 開発の総工数(開発面積)は

開発総工数=ヾ間5ヶ月×技術者平均20人(ハード開発のみ)×3発リスク係数(+αの追加工数1.2)=120人月

 

これを,隆間は2ヶ月で固定でやるためには、単純に

1.,漏発効率化し工数を大幅に削減する

2.△竜蚕僖螢宗璽垢髻孱嫁椣幣紂廚冒強する

3.の開発リスク係数をリスクなしの「1」にする

 

にすれば良いのですが、もの事はそう単純ではありません。

 


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2005年05月16日

金科玉条の「互換性」

伝説の低価格機:98FELLOW(5)

  金科玉条の「互換性」

 

以前の記事にPC98が国民機と言われるまでに浸透した理由の1つとして

    PC98で動くアプリケーションソフトや拡張機器の豊富な資産の蓄積

その資産を維持し拡大するために

    旧型機との徹底した互換性の維持をポリシーとした  

ということを書きました。

 

「互換性」の維持とは、例えば、新製品で機能・性能を上げたとき(386CPU→高性能な486CPU採用、VGAのグラフ・アクセラLSIを変更、IDEなどの新インターフェースの採用など)に、それ以前の旧機種で使われていたアプリケーションソフト(一太郎や松、ゲームソフトなど多数)や各種拡張機器(NEC純正オプションやIOデーター、メルコなどのサードパーティの増設メモリー、増設HDDなど)が、問題なく使えるという意味です。 

 

ユーザーにとって何より大切なことであり、スムーズに新製品を購入してもらうためには、まさに「互換性」の維持は金科玉条でした。

企業ユーザーでも、パソコンの1人1台の導入が進み始めた頃であり、システム増設やリプレースの時に、この「互換性」の安心度はパソコン機種の選択の重要なファクターです。

 

●98FELLOWはスカスカだった!?

 

機能性能面だけではなく、外観形状やコネクターの配置場所に至るまで、新製品の仕様決定に際し、「互換性を損なわないか」を異常なまでに配慮をして決定をしていました。


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2005年05月15日

納期は神様

伝説の低価格機:98FELLOW(4)

 

 納期は神様

 

「納期」とは新製品の出荷開始日のことですが、この年3回のホットシーズンに新製品リリースの納期を守ることは我々にとっては「神様との約束事」のような大命題でした。

 

というのは、ホットシーズンには各社から新製品が一斉に発表、出荷されます。マスコミで取り上げられ、専門誌には新製品レビューや比較記事が多数掲載され、宣伝効果が高まり、新製品の認知がされやすいのです。

他社がホットシーズンの何日に発表するのか、先陣を切って発表するか、他社の発表内容を待って発表するか(自社の発表内容を練り直す)、なども販売戦略として重要な関心事でした。

 

この時はコンパックショックの影響を最小限に食い止め早く新シリーズを打ち出すために1月の早い時期に新シリーズ(98FELLOW、98MATE)を発表・出荷することが決定されました。

 

●出荷開始日=5万台の作り溜め完了日

 

主力新製品の発表・出荷開始日には、日本全国のパソコン量販店の陳列棚には新製品がどっと展示されていて、お客様に直ぐに買ってもらえるようになっていることが大原則でした。

 買いたいときに「新製品」を見て気に入れば直ぐに持って帰りたいというのがユーザー心理です。新製品が順調にテイクオフするためには、出荷開始日の数日前には全国の主要なパソコン販売店の倉庫には新製品がある程度在庫されているというのが必要条件でした。(現在もそうだと思いますが)

 

98FELLOWは93年1月17日に発表・即出荷となりましたが、前述の出荷前に5万台規模の作り溜めをするための生産期間は最短で頑張っても約2週間は必要であり、これを差し引きすると、量産機の開発評価は12月末には完了させて生産部隊に量産移管をする必要があります。

 

「量産移管」とは、開発部隊から生産部隊へ「出荷可能な量産品としての開発・評価がすべて完了しました、技術部からリリースする生産ドキュメント(部品表、組み立て図・検査仕様書など)で量産を開始してください」を宣言する意味です。

 

92年10月末から実開発をスタートして12月末に量産移管するまで2ヶ月しかありません。

まさにこの時期はNEC新潟の開発部隊および生産部隊にとってはホットなシーズンでした。 また、98MATEを担当したNEC群馬も同様な状況でした。


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2005年05月14日

伝説の低価格機:98FELLOW(3)

コストと納期の壁

 

緊急会議の後、急ぎ実現仕様を検討し、新98FELLOWの仕様と価格はコンパックの最安値モデルProLinea386/25MHz(12万8千円)に十二分に対抗できるように、

    98FELLOWは486CPU採用して2モデル投入

    下位エントリーモデル:9801BXは、ProLinea386/25より上のCPU486SX/20MHzを採用し、エントリー標準価格は21万台とする。

   上位モデル:9801BAは486DX2/40MHzを採用し標準価格は32万円台とする。

    98FELLOWはDOSマシンとしてビジネスユースに必須でないFM音源やスピーカー機能は削除し低価格化を図る。但し、拡張ボードでFM音源ボードやグラフ・アクセラレータなどのオプションやHDDの増設可能としてWindowsへのアップグレード・パスも提供する

    発表・出荷は翌年の1月中旬を必達

 

とすることが決まりました。

 

●超短納期の壁

当時のパソコン業界の新製品の発表の旬のシーズン(ホット・シーズンとも言った)は年3回の1月、5月、10月でした。(現在もほぼ同じ、7月に一部機種のマイナー投入もあり)

 

従って、コンパック迎撃機を出すタイミングは1月が必須、かつ宣伝効果を考えるとFELLOWとMATEは同時発表で他の新製品より先頭を切って発表することが重要でした。 しかしながら、「開発期間は実質2ヶ月」という難題をクリアする必要がありました。

 

当時の、各分身会社の開発部はそれぞれ4〜6機種/年間の新製品を開発しており、1つの新製品の開発期間は標準で5ヶ月前後でした。 「開発期間2ヶ月」は標準の2.5倍ものSpeedでやり遂げる必要がありました。

 

●コストの壁

エントリーの9801BX/U2の目標標準価格は21万円台(最終的に21万8千円で決定)は、当時の店頭実売価格は標準価格の70〜75%程度でしたから、BX/U2の実売価格は14万7千円〜15万7千円となります。

コンパックの386CPUに比べて、486CPUを採用した優位性もあり競合可能、また、ユーザーに評価されていた98の旧製品との互換性保障の安心度やNECの全国ネット販売力からも十分対抗できるとの考えでした。

 

しかしながら、1年前に発売した旧機種のPC−9801FA(486SX/16)は標準価格が45万8千円でしたから、9801BX/U2の21万円台は1/2以下の破格の設定であり、CPUやメモリなど調達部品の値下がりがあるにしても、徹底した原価低減設計をしないと売るほどにビジネスインパクトが増える恐れさえありました。



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