2008年04月21日

多摩ニュータウンのセカンドライフ−老朽団地の再生

日経新聞08年4月19日(土)の東京版朝刊35面に「老朽団地再生−時間との戦い。 多摩ニュータウンの住宅建て替え計画ヤマ場。 高齢化、合意急ぐ」の記事が掲載されていました。

記事の要旨は次のとおり。

・多摩ニュータウンで最も古い住宅である「諏訪二丁目住宅」(1971年入居開始の最初の集合住宅)の23棟、640戸をまとめて建て直す国内最大級のニュータウン再生事業となる。

・所有者の合意形成を少しずつ積み上げているが、この間にも老朽化と住民の高齢化が進む。 街開きから40年近く、再生モデル事業は時間との戦い。

・再生計画は、現住宅の全てエレベータなしの5階建てを、住宅全体をエレベーター付きの11階建て三棟と17階建て4棟の総戸数1200戸に建て直し、戸数が2倍近くに増える分の売却収入を建設費に充て、現在の所有者の負担を軽くする案。

・高度成長期以降、人口の大量流入に合わせて建てられた大型団地は首都圏に数多い。 放置すれば「ゴーストタウン」化の恐れもあるだけに建て替えの成否は、全国の行政、建設業界関係者が注目している。

私は、独身時代の70年代後半にこの諏訪住宅のすぐ隣の永山住宅の2DKに4年間ほど暮らしたことがあり、この記事を感慨を持って読んだ。 当時は憧れのニュータウンで抽選で何回も外れたほどの人気だった。20代、30代の若夫婦が多く入居したから、当然、小さい子供も多く明るく活気に溢れていた。 

一昨年、所用のついでに懐かしくなり永山住宅を訪れてみたが、さすがに住宅の外観の老朽化や行き交う人々の高齢化を感じずにはいられなかった。 良く通った団地内の商店街もシャッター通りとなり、空き住宅も多く常時入居募集していた。 何か寂しい想いがしたものだ。

多摩ニュータウンの初期の輝いていた時期、あれから30年ばかり。 当時20代後半の私は30年後にどうなっているか、なんて考えもしなかったし、時代背景としても高成長の日本で働けば年々収入は増えると皆んなが楽観的気分だった。 多分、行政も住宅公団(現在のUR都市機構)も30年後はよく考えていなかったのだろう。

「10年一昔」、「栄枯盛衰も30年」というけれど、我々日本人は長期的思考を巡らすのはよほど苦手な人種なのだろうか。 

高度成長時代の70年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか言われバラ色の日本だったはずが、30年後(わずか30年後)に、「気がつけば、ジャパン・ナッシング! 」とか言われる凋落ぶり。 将来人口は2055年には、合計特殊出生率1.26で65歳以上の高齢者が総人口の40.5%を占め、総人口も現在より約3,800万人も減少する超少子高齢社会を迎える、さらには医療保障や公的年金制度の崩壊の危機、などなど袋小路の日本になるとは思いもよらなかった。

老朽化した多摩ニュータウンの再生計画の具体化は、自分たちには還暦を迎えた団塊・シニア世代のネクストライフの模索とも重なり、さらには老朽化した日本国にこそ具体的再生計画が待ったなしであることを示す象徴的なニュースのようにも思えます。  昨今の近視眼的な政争に明け暮れている政治の無策ぶりは何とかならないのでしょうか?

 せめて、多摩ニュータウン「諏訪二丁目住宅」の再生事業が成功することを祈ります。


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この記事へのコメント

1. Posted by miumiu 財布   2013年12月21日 17:21
“Hm! This is what comes of your literature, Vanya! It’s brought you to a garret, and it will bring you to the graveyard I said so at the time. I foretold it! . . . Is B. still writing reviews?”
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